« 忠告は現実に | トップページ | ワクチン2回目接種終了 »

2021年7月24日 (土)

誰のものになるか途中のもの

018c1377854548528e9d7ebbacf043ad
窓の遥か遠くにテレビと呼応する炎が上がる、息子はそれに歓声を上げた
パパは寝て母子の夜更かし、息子はこうしてオリンピックに触れた
私は、見ないという選択肢をしないで良かったと思っている

東京オリンピックは中止でいいと思っていた
少なくとも我が家においては実害しか計上されていない
今でも宿舎でパンデミックが起きたならストップした方がいいと思っている
未来ある選手が死んだらいたたまれない

私が自分の思いを思い切って出したのは最近読んでるこの本の影響もある
私は霊視と育児にクタクタになってるとこに誰かからの攻撃を受けたくなかった
だから観察者でいたいといつも思っていた
でも、エンパシーばかり強めると主体性がなくなるという主張に衝撃を受けた
私はカウンセリングで思いを引き出さないと私が何を考えているのか
わからなくなっていたからだ

そんな折にTwitterデモやら署名やらが目に入り、私は参加した

そして昨日、前日までトラブルしてどんな開会式になるんだろと
怖いもの見たさで観た開会式に衝撃を受けた
一番の衝撃は王貞治氏と長嶋茂雄氏と松井秀樹氏の聖火リレーだった
松井さんはすぐわかった、でもその隣のご老人が誰だかよくわからない
アナウンスで正体が分かった時のショックは計り知れなかった

松井氏に介添えされて歩を進める長嶋さんを観ながら
私の一票はこの人から生き甲斐を奪ったかもしれないと思い震えた
あと、スマホ片手にニコニコしながら行進する選手たちにも同じことを思い
毛布を被って行進する息子にも同じことを思った

私の中止を求める行動には根本に暴力性があった
生活が政策によって搾取されているやり場のなさを反対の言葉で消化しようとした
感染者の減らない政策は終わらない暴力のうちの打撃の大きいものでやめさせたいと
思った

でも、やり方が違っていたら?
「オリンピックを成功させるために我慢して感染者を減らそう」
「選手に日頃の成果を発揮させてあげよう」
そうやって団結できなかったのは何故だろう

それはオリンピックという言葉が上がるたびに全面に出てくるのが政治家だったから
あと、バッハのおっさん。この人は完璧なヒールだった、開会式でも話が長すぎる
女生徒を気絶させても反省しない校長のようだった

もし選手に「日頃の成果を出させてくれませんか?」と頼まれたら
少なくとも私はだいぶ違った
Twitterのアルゴリズムの影響もあるだろう、私のタイムラインは
中止だ!と声高に叫ぶ人がよく目立ちそれが主流のように錯覚しやすくなっていた
ここについては私の認知を歪めまくっているんでなんとかしないとと思っているけど
今日はもうこれ以上言及しない

開会式が終わった時
「オリンピックはただやりたいと願われているもので誰のものでもないな」
と思った
でも今日は、私たちはアスリートを身近に感じているのに、政治の道具のように
扱われて開催の可否が決まるから捻れてるんじゃないのかなと考えた

柔道の選手が「たくさんの人にここまで支えられた」と涙しているのに
オリンピックのフォーマットは「政府が開催してくださったからこの場に立てた」
という言葉がしっくり合ってしまう

高校時代の現代文のテストでオリンピックは血を流さない戦争の代わりだった
という文章を読んだことがある
だから金メダルが取れなくてお詫びの形で自殺した選手が出た
でも平成時代、岩崎恭子氏が「私は楽しめた」と試合の後に話して流れを変えた
当時は違和感だけあってその意味を理解できなかったけど今は

「私たちは政治の駒ではない、この場所で成果を出したい一人の人間だ!」
と宣言されたのだと感じている

そんなわけで私はテレビに齧り付いて日本勝った負けたで一喜一憂していた頃を
出発点として今はオリンピックが始まると気になるときにテレビつけて
その人の人生にちょっとだけ寄り添うというスタンスに変わってきた
そうなってくると、政治的な配慮の上に見せていただいているという感覚に違和感が出てくるのだ

オリンピックは今、政治の道具からアスリートのものに、もっと言えば
皆が意見を出し合うものに移行しているのかもしれない

どういう形であれ、続くのであれば平和の祭典だと言い続けられるものであってほしい


|

« 忠告は現実に | トップページ | ワクチン2回目接種終了 »