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2020年9月24日 (木)

1970年代生まれ、良い家の娘になりかった

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子どもは一人、あとは表現活動して生きる

そんな前提で人生を見つめたら、過去が色々蘇ってきたのでカウンセリングを増やして積極的に自己を振り返りました

何故私は無理やりにでも子どもを望もうとしたのか、自律神経に異常をきたしたのに何故それを捨てられなかったのか

どうして、若者に再び教師として接しようとすると祖父が記憶に出てくるのか

全ての理由を書くのはnoteの方が稼げそうなんでいつかそちらに書くとして

結論として私は、家族皆を支え、規範を守る昭和の女として祖父母に褒められたい、という願望に忠実に生きていて、私の小学生くらいから始まった男女同権とかフェミニズムとかのウーマンリブ運動を、昭和の母として理想的に出来ない部分の免罪符にして生きてきた、ということを自覚しました

でも、時々それが嫌になり、表向きは酒飲んだくれてますとか、呆れる女としてのキャラを無意識に盾として使ってきた、という事実でした

くだらない会話でアホみたく盛り上がって過ごすのが出来ない家だったから、外に信頼出来る大人を求めた部分もあったでしょう

私が、もうギブアップ!と言えたのは「介護が始まりそうだから」という、皆が納得してくれそうな免罪符が出来たからかもしれない

じゃ、そういう「よく出来た娘さん」という称賛から離れたらあなたはどう生きたいわけ?と自分に問うとこれがうまく言えない

私と近い世代って、ごく個人的な意見だけど、そういう、家庭切り盛り出来る良い娘でありながら仕事もバリバリという両立を求めて出産時期が遅れたり、心を壊したり、そもそもその価値観と闘うために恋愛や結婚の全てを拒否したりしている仲間が多い気がしてるんです最近

だから、ウチらの世代に少子化の責任取らせんなバカヤローと心で叫んだりしています。今の20代とか、30代前半とかはどうなんだろう。話を聞いてみたいです。

したら、渇望するように仕事として教師を求めなくなりました。でもチャンスきたらやるけどね。

でも、胸の奥からか細い声がして、最近大きくなったんですよね「リリーフランキーみたいになりたいんよ」って。文章書いて、絵を描いて音楽やって、芝居して、なんでか面白そうなことに手を出してたらカンヌ映画祭にいってた、みたいな、そういう感性わらしべ長者みたいのやりながら生きたいって

だから今の、子宝草貰ったら育った頃に保育所で配った金魚が気になってしまい、真剣に飼ったら、グッピーの水槽が来てしかも既にグッピー妊娠しててエビも妊娠していて、便秘って言われていた金魚もどうやら妊娠していて、部屋に子宝が溢れてるなかで仕事してるという状況はかなり面白い訳です

リリーフランキーさん会いたいなぁ

息子はヒカキンに会いたいみたいだけど

そんなこんなで写真を神々しくしてみました笑

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