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2020年6月 3日 (水)

差別の産んだ差別だと思って唇を噛んだ日

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その日、私はJ.Fケネディ空港にいたのです
もう15年くらい前の4月
自分の参加した展示をニューヨークに観に行った帰りでした

チェックインまで時間があったからコーヒースタンドに
コーヒーを飲みに行って、できるだけ明るい感じにオーダーをしました
スタッフは5人くらいいて、中年の女性がレジで両脇に若めの男性がいて
全員黒人さんだったんですけど
かえってきたのはフレンドリーな笑顔と素敵なコーヒー


ではなく


「聞いた、こいつのいまの英語?すもーるプリ〜だって
バッカみてえ」
と私の言い方を誇張して明らかにバカにして男性たちと大爆笑する
女性の侮蔑を込めたモノマネでした

で、私はそれに対して
「ファッキンシリー!!!」
と言ってコーヒーをぶっかけたか、といえばそうではなく

俯いてコーヒーを受け取って、友人にそれを言えずにテーブルに着きました
まず第一に体格の差、揉めたら飛行機逃して日本に帰れないかもって怖れ
あとショックでした

この日まではキング牧師やマルコムXやいろんな影響から
黒人差別はいけない!てか差別はいけないって思っていた

でもこの出来事から私の中で変わったんです
「差別されている黒人たちに更に差別されているのがアジア人だ」

もしかしたら、私がガキっぽく見えたとか、そういうニュアンスで
バカにされたのかもしれないけど、当時はこう思ったんです
いや、今書きながら検証しただけで今までこう感じてしまっていますね

イタリア系と思われる白人さんのレストランでメニューに悩んだら
「はい、もうお前らこれとこれね」
と、勝手に決められた時も悔しかったですが

この時は、凄まじく身をえぐられる感じがしました

何もしてない、コーヒーオーダーしただけ、でも私であるだけ
この肌の色でその拙さを笑ったりバカにしたり人権を侵害していい
と思われているのか

というやり場のない怒り
私が実際にアメリカに出かけていって知った大きな収穫がこれでした
私がメンヘラだとか、ちょっとイっちゃったとこのある人だ
と言われるのは、その可能性を知っていながら自覚して行動してるから
仕方ねーと思うとこもあります
ドレスコードのある店にそういう服がなくて入れてもらえないことも
仕方ねーと思える
でもただ生まれてきた姿で酷くしていい奴に認定されるのは
やっぱり酷く悔しいんです

でもってそういう感情を抱えてしまっている今
画面を真っ黒にしてインスタに投稿をあげられるかというと
当時の気持ちがフラッシュバックしてどうしても無理になっちゃうんですよ
差別すんな!と一緒に手をあげたつもりが
もしかしたら「このアジア人、一緒のつもりになってやがる」
って裏で笑われてるかもしれないとか考えちゃって

これ書いてる今もすっごい肩に力入って苦しいです
みんながそう、な訳じゃないだろうに、当時の傷が痛んで
差別のはけ口のための差別対象になるぞと思ってしまう

でも、だからこそ、差別問題が無くならない難しさも
暴動に発展する勢いもわかる

私はたった一回でこうなっているけれど、日常的に、傷がいえるでもなく
こういう視線や言葉を浴びせられ、その苛立ちをなんとかやり過ごしている中
同じ肌の仲間が小さな罪で理不尽に首を圧迫されて殺されてしまい
多分、それぞれがそれぞれの中に溜め込んでいた怒りが暴発したのだと思う

(そもそもなんで偽札を使わなきゃいけない状況なのかという考察も込めると
そこには多分経済格差みたいなものだってあるのだろう)

だからこそ、ジョージフロイド氏の弟である
テレンスさんの言葉が刺さりました
その耐えているものの凄まじさと苦しみは想像を超えます

悩んだ末に今日載せた写真は、2年ぶりに花が咲いた白檀というサボテンなんですが
こんな風に試行錯誤の末に開く花があるでしょうか

地震は起きなかったけど、世界の終わりの魔女のカードは自然災害以外に
社会の大きな変容を示すこともあって、その解説の結びの言葉はこうなっています

「すべてはうまくいっている」

人が殺されて、物が略奪されて、建物が燃やされて何がうまく行ってるんだ
だけど、無駄にしてはいけないと思います

ただ生きているだけで不当にされる痛みと苦しみが共有されますように
そして無くなりますように
そう願わずにはいられません

















 

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