核心のドジョウ
春から通っているカウンセリングは季節が冬になりまして、私はとある発見をしました
私は追い詰められて苦しくなると、「自分には信頼できる人がいてくれる」と安心したくて更に心身を追い込む習慣がある
わかっていたけど、最近はずっと無意識に発動してました
自分は信頼できる人に囲まれてる、自分の気持ちを大事にしていい、私は赦されてる、と思えるのが私の最高の癒しで、それを感じるためにグッと首を絞めてる訳です。死にそうだけど。
私の生きづらさがドジョウなら、これはかなりの大物だ
「松崎さん、これはシンドイ」と先生
「どーしたらいいすかね」と私
せっかく掴んだドジョウだけど、バケツもなければ網もない
「それは自分で見つけないといけません、他者からの提案はその場限りの力しかない。でもこれは辛いこと、だからそれを共有するためにこの場があります」
また無意識という名の沼に飛び込んでいく私のドジョウ
まだ私は彼と生きるんだ
でも溜息一つついてから、立て看板を書きました
「この沼、主人を食らうドジョウあり」
カウンセリングとは、看板を書くことだなぁと思います。別に釣らなくても食べなくてもいいのかも。意識出来ればどうしようかを考えられる
息子がお箸にチャレンジしてます
左手のお箸持ちは大変だけど、癇癪してもまたやってます
私もこんな風に向き合えるかしらね
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