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2020年1月23日 (木)

核心のドジョウ

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春から通っているカウンセリングは季節が冬になりまして、私はとある発見をしました

私は追い詰められて苦しくなると、「自分には信頼できる人がいてくれる」と安心したくて更に心身を追い込む習慣がある

わかっていたけど、最近はずっと無意識に発動してました

自分は信頼できる人に囲まれてる、自分の気持ちを大事にしていい、私は赦されてる、と思えるのが私の最高の癒しで、それを感じるためにグッと首を絞めてる訳です。死にそうだけど。

私の生きづらさがドジョウなら、これはかなりの大物だ

「松崎さん、これはシンドイ」と先生

「どーしたらいいすかね」と私

せっかく掴んだドジョウだけど、バケツもなければ網もない

「それは自分で見つけないといけません、他者からの提案はその場限りの力しかない。でもこれは辛いこと、だからそれを共有するためにこの場があります」

また無意識という名の沼に飛び込んでいく私のドジョウ

まだ私は彼と生きるんだ

でも溜息一つついてから、立て看板を書きました

「この沼、主人を食らうドジョウあり」

カウンセリングとは、看板を書くことだなぁと思います。別に釣らなくても食べなくてもいいのかも。意識出来ればどうしようかを考えられる

息子がお箸にチャレンジしてます

左手のお箸持ちは大変だけど、癇癪してもまたやってます

私もこんな風に向き合えるかしらね

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