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2018年2月 3日 (土)

こういう子育てをすると決めたのは自分なのに、出来なくて困る

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今朝は節分の豆まきをしました
ムッちゃんは豆をぶつけると楽しいことは理解した様子
来年あたりは「おにはそと」と言えるでしょうか

子育てを始めて「自分がまさかこうするとは思っていなかったが
結果こうなっていること」があって、それは一言でいうと
「息子を普通の子に育てたい」だったのですが
昨晩夫に「ねえ普通ってなんなの?」
「それはあなたの押し付けでしょう?」
「俺だってそりゃ色々あったよ」と話され始めてなんかとっても
泣きたくなりました

私はまたこうやって口を塞がれるのか
またこうして人の話を聞くことになって自分は何も言えなくなるのか

そうしてうなだれると場の空気を持ち上げようとした息子が
口を開けて食べたものを見せて笑いを取ろうとする姿が見えました
まあ、どこの家庭にもある愚痴です
夫は誰もが突っ込むことを私に言っただけなのですが
ちょっと私の気持ちを書いてみようかと

アタシは不安定な母ちゃんなんですが、その最もな特徴に
ニュースで不幸な事件を見たり、何か体に異変があると
すぐに自分にも起こると思って大騒ぎするっていうのと

自分をぐっと抑えて息子と向き合うのを信条にしているため
週末には息切れしてもたず、すでに自律神経に異常が出ている
っていうのがあります
そしてこの部分は「周りと比べたら預けまくってるのになんで
それでも病んでるの?」と突っ込まれるポイントで
私はそれを自分がヘタレだからだとさらに自分を責める絶好の
ポイントになっております
でも、これからも息苦しく自分を追い詰めねばならない
と、思っています。できればその我慢できなくなったときの愚痴も
吐き出さずに処理できるようにならなければ、と思っています

どうしてこうなってしまうのか、土用中に答えに行きあたりました

まず、子供の頃から同居していた祖父母をどちらも突然死で
無くしていることのショックが癒えてないんだと思います
祖父に関しては長生きしたのでそろそろか?と意識する隙が
ありましたが、祖母は完全に不意打ちでした

でも、祖母の亡くなる前日に私は無性に祖母に連絡し
できれば帰らねばならないと思いました
でもなんも理由もなく大学を休んで実家に帰ろうと思ったので
実行に移すことができず、でも、部屋に帰るのも落ち着かず
当時の彼氏の部屋に泊まりました
そしてその間に祖母が亡くなってしまったのが
すごくこたえたんですね、そして自分を責めました
「祖母の死を虫の知らせで予見していたにもかかわらず
しかも男の部屋に泊まるという愚行を犯した」
その後悔は、些細な変化でも見落としてはダメだ
見落としたら大事な人がまた死ぬかもしれない
病んでいてもそう思うことで誰も失わずに済むかもしれない

最近はこの妄信が、オキシトシン効果と
前世の一人との切り難い記憶と思いと合わさって
かなり病的になってきました

でも一方で、健康とかどうでもいいぜ
今を楽しくいきるんだぜ、という独身時代と
まるで変わってしまったのが自分でも興味深いです

で、もう一つの「普通の子」の話なんですが
最近子育てしているとやけに小学校に入りたての頃のことを
思い出すんです
一緒に通学することにしていた女の子に半年後には
「別にアンタと一緒に学校行きたくないの
でも親が言うから仕方なく通ってやってるんだからね」
と言われたこと
なんでか隣の席になった男子にいつも激しく暴言を吐かれたこと
それで物静かな男の子たちのそばにいることに
安らぎを覚えるようになったこと
ただ自然にしているだけで「真面目ぶりっ子だ」と
言われてすぐ近くで陰口を叩かれ
その意味もわからず疎外感を味わい続けたこと
そして私の口癖が「普通がいい」「みんなと一緒がいい」
になったことを祖母がいつもなじったこと
「みんなと一緒がいいってなんだ、
お前は周りが死ねって言ったら死ぬのかよ」
と言われたこと

なんと言ったらいいかわからず
黙るしかなかったけど
私はただずっと
自分がいていいと思える居心地のいい人たちが
いる世界に安心して暮らしたいと
そればかり願っていたこと

個性を大事にというけれど
その個性を疎外感と孤立感の中で感じると
ものすごく生きているのが苦しいこと

そしてそれはどういうわけか今でもうまくいかないこと

なんてことを思い、それを息子に味合わせないようにする
方法がわからず、結果私は、保健所が国が、政府が
WHOがいう基準から息子が逸脱しなければ彼は
どうにか同じ轍を回避できるのではないか?
と信じ、同時に、もし何か逸脱している部分があるなら
早めにそれを個性として肯定的に育んでくれる環境に
彼を置きたい
そう考えて過剰に神経を高ぶらせるようになりました

そこに体がついていかないことにも
行き詰まってきました
こうやって生きていくしかないのに待ってくれと
自分に思うようになったんです

これはコメント欄を開けていたら炎上案件でしょうが
私の中には確かに
「自然体で子育てしていいのは高校時代に彼氏彼女ができて
バイトも一年は続いて頑張って内定をもらった就職先で
三年は頑張れる人生を送れた人だけ、でも私は全部できなかったから
ダメ、自由なんてもってのほか、他の人はそうじゃなくても
自然体で子育てしていい、無理しないでって私はいう
でも私は駄目、絶対に駄目、それは息子が将来
苦しんで人生を送る可能性を放置することだから」
と、思ってる自分がいるのです

もうね、どんだけのコンプレックスなんだろう私
制服着てるうちに彼氏ほしかったマジで!

しかし、こんな話って日中に対面でフランクに
話すことがどうしてもできないんですよね
だからってブログかよって突っ込むんだけども
読みたくない人はきっとすぐブラウザ閉じてくれるだろう
という一方的な安心感に私は勝てないんですよ

どうしたらいいですかね
やっぱりカウンセラーを見つけてその人に
定期的に思いを吐きにいくしかないのかな、病人として

それとも、私立に進学すれば解消したんでしょうか
(私のイメージだと私学は規律が厳しいイメージがあるけど
今は私立の方が個性を育むとかいう説をどっかで読んだ)

わからんす、本当にわからん

ただ、ここにきて私鑑定のたびに3人ほど
「その悩みはもう一人で答えを見つける段階をこえたんで
ここからは人に話して答えを探すべきです
でないと病気になりますよ」
と喋っていて、この依頼件数が少ない中で連続すると
これは私への警告でもあるんでないのか?

という気もしてきてしまったんですね

スッキリとはしないけど、こうして書いたことで
「ブログに書いちゃったんだから思い切って今
この人にも話せるんじゃない?」と自分の背中は押せる気がする

よし、ちょっと頑張れる気がしてきました。
まずご飯を食べてきます。

 

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