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2017年10月11日 (水)

ありのままを愛してくれるとか信じるなんて恐ろしい話で

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突然ですが、皆さんは自分に何の取り柄がなくても
受け入れてくれたり好きになってくれる人がいると思いますか?

簡単にいうと生きているだけで愛されると思いますか?
もっと簡単にいうと
自分は人に好かれると思いますか?ですね

私はずっとこう思っていたんですよ
「私は何かメリットがないと愛してもらえないが
他の人は生きているだけで愛されることがあるし
私もそういう風に好きになる人がいる」と

なぜか恋愛だけは「ありのままの私を愛して」と思っていましたが
それ以外の関係はゼロっすね、友情もそうなっていました

その環境において「いい子」、使い勝手が良いと思われなければ
愛されず生存が危うい、極端にいうとこんな感じ

何でこうなったですかね
同居の祖母は小さい頃の私に
「あなたはどこに出しても大丈夫な子だって言われるわ」
と誇らしく言ってきたからでしょうか?

そういう枠で褒めら続けたからこうでないとダメだと思ったのは
ありそうです
成績を取ればいい子に見られる学校という組織とかは
わかりやすかったですから

美大に入って速攻精神が不安定になったのは
こんな理由もあったのかもしれません
正解はないと言いながら育児もやたらマニュアルが氾濫する世界です
やっぱりついていけなくなりそうになるのには
こんな理由があるのかもです

周りに付き合う価値があるいい子をしなければ
ならないという悲壮感がある中、
安心して蔑ろにできるのは自分でした

喜んで、安心して、無理をできるのは私自身
そしてこの積み重ねが今の鍼打ちまくりの弱った体を作った
これが最近の私自身の考察です
でも、こういう人はきっと私だけじゃないと思います

私にとって「自分を甘やかす」ってことはどうやら
周りに面倒だと思われてもこうありたい自分を大事にする
ってことみたいです

「自分でやれることを人の力を使ってやってもらう」
という、この本来の甘えを堪能するのは、
私を社会から孤立させそうで実に怖いですね
特に身内以外には頼みづらい

ああ、なるほど、だから私は音楽やってる時
呼吸が楽だったのです
私の音楽やステージを大事にするということは
私を大事にするってのとほぼ一緒でしたから

そして、自分は誰からも愛されているという部分が
前提で生きている人は私の葛藤の一歩先にいるので
そりゃ生きやすいし人生で成功するなあと実感します

あー今からでもいい、
何も取り柄がなくても私は誰かに好かれると信じ切った
人生を生きてみたい!
ので少しずつ自分をそう洗脳しています

別に愛してくれとかハグとかはいらん
好かれるだけで十分ですよ

私が意識して息子にできるのはこういう風に思えるように
接すること、あと、多少手が入ってると思わせる料理を
作ること、もうね、無理よ、これ以上は無理
いつもこれ以上をやろうとすると大体死ぬとか言い出す私

これが最近のアタスの革命的な気づきです

写真はコキアです
ピンクで可愛くないっすか?
今年は流行なのかやたら花屋にならんでたんですけど
すごく売れ残ってるんですよね、かわいそう
皆こういう紅葉をするって知らないんでしょうね

ちなみにこれトンブリっていう食べ物の木でもあるらしいです

まだ緑のコキアが売れ残ってたら買いですよ、買い

何だろう、私もコキア貰い物だったからなあ
(紅葉のことは知ってたけど)
ありのままを好いていたわけではないのかもしれんです
ごめんねコキア、許してお願いw

 

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