失楽園の果て
猫たちが脱走していないか確認し
息子を迎えに行った夫に二人の安全を確認後
異変に気付いたのはベランダの大量の水でした
葉っぱが詰まっているんだ!=植物に大変なことが起きた
のであると。
そして初見は一つ前の記事でしたが
落ち着いて改めて状況を見ると惨状に引くことがあると
思い知りました
写真中央、葉っぱを取るためにちりとりを探したら
ヒョウの直撃で砕け散っていました
手前は割れたシーサーに多肉を植えたものでしたが
さらに破損が進んでいました
思い出の品を捨てずに再利用できて、ナウシカの廃墟みたい
と喜んでいたものでした
白い植物棚もヒョウの直撃でハゲハゲです
お気に入りで太陽が好きと聞いて表に出してあげた
食虫植物のエヴァがボロボロ
結婚記念日の時におもむろに夫がプレゼントしてくれた
ルピナスがボロボロになりました
9月には収穫できるな、と楽しみにしていたブルーベリーも落ちました
オリーブの実も無くなっていました
沖縄の人から購入したピンクザラゴーザもボロボロになりました
この辺の多肉は2〜3000円するので、この頃
結婚式で着た着物を購入費のために手放しました
着ないで置いておくよりも、毎日愛でて眺められるものにしよう
そう思ったら一瞬で失いました
ベランダの外側においていた植物は傷が少なく
実は雨ざらしにならないように部屋の側の壁につけていた
多肉や大事にしていた植物たちが皮肉にもそれゆえにやられました
横殴りの風で襲来したヒョウは容赦なくベランダの奥に入り込んだのです
気づけば夏らしくて好きだったタンクブロメリアもボロボロでした
手前右の赤くて大きいものは私がジャケをやった最後の手持ちのCDを
売った記念に買ったものでした
大切にしようとしたものが一瞬の災害で失われて
私は言葉がありませんでした
同じことを何回も繰り返すかも知れないけど
話をただ聞いてくれる人がいればいいなと思いました
きっと復活するとか頑張ろうとか
今は重いから言われたくないと思いました
毎日どう喪失感と向き合ったらいいのかわからない気持ちで
砕けた葉っぱを片付けながら
これが人間の手だったり足だったりした人がいるんだと
考えました
災害にあった人の気持ちは私がこれまで思っていたよりも
過酷なものだと思いました、気を悪くされるかも知れないけど
でもそうやって、やっとこさっとこ一日を終えようとしたら
今度は息子が植木鉢を倒しました
「ねえなんで!なんでなの!!」と私は感情的に息子を
責め立ててしまいました
そして後で後悔し、こんなことの繰り返しでは息子はDV男に
なるかも知れないと思いました
昨日、息子が私がトイレに行っている間にスマホをいじって
結果2000円以上のゲーム課金をする羽目になり
そのことでもかなり消耗していました
この一件はなんとか納めましたけど
息子を怒ってはいけない、でも大事にしているものが
壊される、そうやって耐えるたびに怒りで目がかすみ
前が見えなくなることに悩んでいたので
結構これは限界だなと思いました
こんな時、やっぱりすぐ電話できる人がいたらと思いました
声で話すのと活字は違う
「愚痴ってください」と言ってくれる人はありがたいことにいます
でも、皆にメッセンジャーやLINEをする気力がない
というか、文字を打っている途中に息子にスマホを奪われるし
奪われなくともそうやって打っている間に自由な息子が
次のトラブルを起こす
自分も相手に返信ができない
というか過剰なストレスに疲弊して文章を構築できない
なので私は親に電話してばかりいます
霊能者になりたての頃、やっぱりずっと一日部屋でお告げだけ
聞き続けるものだからそのストレスで電話ばっかしてたんです
でもそうやって聞いてくれた友人とギクシャクし出すたびに
「私はあんなに話を聞いてあげたのに?」
と言われるのが辛くなって
一方でやっぱり感情が不安定な人たちからの電話を
一日に3本とか受けていてすごく疲れ切ってしまって
そういうのがトラウマでもう自分から
「聞いてよー」と言えなくなってしまいました
そして時代はいきなり電話してくるが電話野郎と言われて
迷惑な時代に
そしてやっぱり自分もそんなに親しくないのに
急に電話されたら困ると思うのです
90年代に子育てしたかったな、それはそれで困ったことが
あったろうけれど、せめて2000年代?
話を聞いてもらえないとストレスを緩和できないのに
話を聞いてもらうのが難しい状況をどう乗り越えるのか
結論から言えば、活字のやりとりしかできないのに
ママ友を増やすのはもう意味がない
3歳4歳になったらやっと社会性が身につくから
そこで注意するのに意味があるが今はないので
親は怒らないこと
と言いますが、経験ないんだもん
本当にそうなのかわからなくて不安で不安で仕方ない
じゃあ実地で確かめれば息子の人生は
間違いから学んだ場合はめちゃくちゃです
児童相談所に行くのが得策か?
でも昨年行政から来た人の言葉で追い込まれて
ベランダから飛び降りる騒動をしている自分としては
やっぱりリスクの高い博打です
仕方ないので視点を変えて猫との付き合いから学びました
私が猫の粗相に怒らなくなったのはなぜか?
そういう生き物だと学んだからです
だから息子を「甘やかして育てた子」と言われて、
息子自身にも生きづらい思いをさせるかも
知れないけど
幼児はどうにもならないから、今はこちらが余裕を持てるように
やりたいことやこだわりを捨てるしかないだろうと
もし捨てられなかったら?離れるしかない?
すごく苦しくて毎日息子を思い出して泣きそうだけど
しかし、育児をなめてた気はなかった
でも予想以上だった、かけなければならないものの多さが
とは言えその点では私はラッキーだ
なぜなら楽園は強制的に滅びた。。。。。
とこんな自問自答
植物は再生するし、ちぎれた多肉の茎や葉からも
芽は出ると知っています
しかも葉っぱだけでも売れることも知ってます
でもそれらのために再生する場所を設け
手間を作ることは今の私と子育てには厳しいことです
であるならば生きているけど捨てるしかない
誰か一から育てたい人に譲ってもいいけど
引き渡しまでに時間がかかるのに耐えられるのか
もはや自信もないのです
般若心経を心を込めて読んだら
許してくれるだろうか?自己満ですが
しかし、今日は色々ありすぎました
日野原先生が亡くなって
新宿JAMも年内で終わりとわかって
楽園の滅亡に
子育ての壁
でもって土用
確信を持ってできることから始めます
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