幸せな記憶しか出来ないこと
今日は息子の撮った写真が面白かったので使っています
アンパンマンは最近のお気に入りで抱っこしちゃ投げてますよ。。。
あれから更に植物を処分し一昨日、一定数に達したところで
私は処分する過程で自分の中に命を愛すること以上に
「自分の美意識に叶うものしか置きたくない」
という強いこだわりがあることを知りました
そうしましたらばまた小網様からお告げを受けました
「自分の中の汚さや残酷さも知ることが大事なのだ
お前は強くならねばならないよ
母親なのだから」
そしてグッと背中から新しい力が入ってくる感じを受けました
子しかしたら
フェミニストの人が反発しそうな言葉かもしれませんが
私の中にはスッと入ってきて
そしてかつて小網様に
「お前は最後まで人の側に立てよ」
とお告げをされた日のことを思い出しました
昨日はあんまりしんどかったので
その作業をやめてしまいました
辛かったら離れるに限ると思って
とはいえ手元に残すのには躊躇いがあるけど
なぜか手を出せなかった多肉達がおりまして
これらに関しては里親を探そうと思っています
私が命を粗末にする痛みに疲れ切ったのか
彼らから生きたいという強い意志が出ているのかは
定かではありませんが
今回のヒョウの一件で、大事なものを失った時
その痛みを支えるのはそれらといた幸せな記憶だけだ
と思いました
失って傷つくのが怖くていなくなった後の世界を
考えて何もしないよりも
彼らを抱えて一喜一憂したこと
喜んだこと
そういうことが喪失を強く支えたのも確かです
植物は相変わらずベランダいっぱいに育てたいですが
結構ある一定期間暮らせたら満足してしまうことも多くて
そうしたらストレスが少ないやり方で譲渡できるシステムがあると
幸せだなと思いました
やっぱり花屋でもやったほうが良いのかも
何かいい方法が見つかるといいです
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