とんちきこんこん
サンタクロースの息子へのプレゼントはドラムキッドでした
最初はわけわかんなげな顔で叩いていた彼も
親が両手を持ってデモンストレーションすると
なんとなく分かったみたいで楽しそうでした
ウイルス性胃腸炎に倒れてから私がした事は
一つでも会う度に無理に霊視をしてしまった事を思い出してしまう
人や場所との接触は避ける
仕事以外の霊視は断る
という2点でした
まず、関わる人がほぼいなくなりました
行く場所がチェーン店ばっかりになってしまいました
愕然としましたが
しかしそれにより私は友達を思い出しました
友達ってなんとなく話をしていて共通点があって盛り上がり
自分の内面をさらしても共感出来て・・・みたいな積み上がりで
深まっていくものだったそーだった!!
ということを思い出しました
そうなると、今私の周りで私に話が出来る事に気持ちよくなってて
私の話がほぼ出来ていない人は友人じゃないじゃん、
とわかって悲しくなりました
私は長屋の熊さんはっつあんみたいなノリで
霊能者でいたかったですが、やっぱりこの仕事は
隠さないと駄目ですね
でも、それでもそれが出来なくて、しかも
お告げまでしてしまうのであれば、もうその時点で
その場所をシェーンのように去るしかない
それがお互いを平和に思い合う唯一の方法なのだ
と今回の件で思い知りました
でも、私は自分が不快に思う事やお願いしたい事を
口に出すようになってきました
もう死にたいです、という段じゃない地点でお願いごとを
してもいいんじゃないか?と思い
今やっている植物アプリのSNSの紹介キャンペーンの
ダウンロードをお願いしたりしました
とりあえずアマゾンの商品券欲しさで10人集めたんですが
まあ結構コレで断られたりもあって
悲しいけど、でも死ぬよりマシかなんて思ったりしました
(誰かスマホに容量ある方ご協力下さい←まだ言ってる)
したら驚いたんですがおでこの生え際にあった
白髪になりかけの髪がなくなりました
毎日探してるんですけど消えててびっくり
なんか人間性は回復しつつあるような気がしています
私は思春期にメンタルを崩した父の聞き役を頑張り
その結果母側から「お前が介入するから家族関係がおかしくなるんだ」
と罵られた結果、自我が引き裂かれ、そんな自分を自力で
私が生きていることで不幸になっている人たちがいるのだから
私は生きたいと願う限り永遠にそのお詫びと贖罪をせねばならない
という意識で統一しました
以降、自分が恵まれたり調子が良くなる度に
自分はそんな資格がないとか
罪人のくせに申し訳ないと思うようになりました
だから妊娠中に仕事を辞めざるを得なくなったとき
「妊娠してごめんなさい」ということばかり口にするように
なったんですね、喜ばしい事なのに
アートは一時期自分をそのスパイラルから解放しましたが
結局霊能力の発現はそんな自分を再び贖罪に引きずり込みました
神様の声が聞こえる、という能力は仕事にしてよいのか
普通の人間として生きていてよいのか
そういうことに怯え戸惑いました
そして、いかなる状況や場所でもこの力を行使せねばならない
と思うようになりました
ただでさえ混乱している中、
「君は高い霊能力をもっている、俺たちは選ばれた人間だ」
なんていう人たちも近づいてきて私は今思うと自我がもう
なかったかもしれないですね
実際はASKAの拘留もSMAPの解散も止められず
大震災の予言すら出来ないレベルなんですが
自分が叫んでもいいのは自分が精神的に死にかけて
もう神様の声を届けられないですがどうしますか?
という時しか許してこなかったと思います
気がつけば10年、転機は出産
育児は大変ですが、親子関係のトラウマはなくなりました
完璧な育児なんて、いや、傷をあたえない育児なんて
出来ないよ、人間なんだし、と思うようになりました
親の対応を自分もやってしまう可能性がある致し方なき事
と理解できたんですね
そして私は一方で自分が「生まれてごめんなさい」という
意識で動く人間である、ということを変えるのを諦め
受け入れる事にしました
なんというか、爆弾を仕掛けたテロリストに罪を認めさせるのと
実際の爆弾の処理をする作業は別、というような理解で
自分に接する事にしたのです
一例で言うと、私は自分に対するネガティブな意見と
ポジティブな意見両方を聞かねばって思っていたんですが
ネガティブな意見は自分の精神を泥沼に沈みかねない
逆にポジティブな意見ばかりの中で
「いや、それは楽観的過ぎでない?」と懐疑心を持つくらいが
丁度いいと思うようになりました
これからは自分の幸せに対してネガティブにしか反応出来ない
自分にいかにバランスをとらせるかが重要です
育児は、そこでいうと難関です
自分は育て方の失敗例だという意識がどうしても出てしまう
と、自分が子供の頃の経験や記憶を否定してしまい
身動きが取れなくなるんです、
なので育児書や保健所の指導を頼みにしてきたんですが
それらは新たな尺や画一的なルールでしかなく
余計に苦しくなる事が多いんですね
息子が私をトラウマとして記憶する前にいい落としどころが
見つかるといいんだけどなあ・・・
というか部屋が片付けられなくて毎日30分は
泣きながら探し物してます
そういう同志を探して傷を舐め合いたい昨今です
んー来年はもうちょっと楽しく生きたいなあ〜〜〜〜!!
皆様、よい年末年始を。
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