チート
帰宅した夫が開口一番の「明日雪になるらしいよ」と言う言葉を聞かぬふり
しかしやはり気になって、おずおずとベランダに出てウロウロした結果
3分の2の植物を取り込みました。
いやしかし、増やしたな…あと20増える予定なんだけど
でも悲しいな、綾錦がもうすぐ死んでしまう。
今年の夏に近所のレストランで一目惚れしたものの
分けてくださいと言えなくて秋になんとかメルカリで手に入れたアロエが
なぜかたった一度の水やりで急激に枯れているのです…トホホ寂しい
私の今回のウツは二週間でやっと解消されつつあり
気圧の変化で激しい頭痛がおきても死にたいと思わなくなりました
私は一方でプライベートで聞き役になりがちだった人たちに
「話が聞けるくらい元気な時にまた会いますから」
と直接伝えるという画期的な方法を思い立ち、伝える事で
ちょっとずつ楽になりだしました
今日はそれと仕事でいい事がありました
今日のお客さんがブログを読んでいて
「先生、育児ノイローゼで死んではいけません、生きてください」
そう言って飴ちゃんをくれたんです
自分でなんとか出来るようになるまで見守っているとか
きっと乗り越えられると信じていたと言われる事とか
そういうのも愛なのでしょうけど
私には自分の精神を消耗し切っている時に
ハッキリした言葉で引き戻してくれる人が現れたことに温かい気持ちになり
そうやって戻してくれる人がいる、と言う世界に住んだら
とても自分は安心できて人を信じる事ができるんだなと思いました
私はいつもたくさんの人に関わりながら、でもこの人たちは
私が荒れたら落ち着きだすまで離れた位置から見てるだけなんだよな
と思うので絶望しないように最後の最後まで相手を信用しないように
壁を作っていた事に今日気付きました
そしてそれが結構な負担になっていることにも気付きました
おかしくなった時に「戻っておいで」と言ってくれる人がいないと
やっぱり生きている事は苦しくなるんですね
私にはもう考えてみれば小学生位から
「私がどれだけ一方的に頼られて辛かったかは
自殺しないとわかってもらえない」
という思いがしんどくなる度にぱっくりと口を開けて
私を飲み込もうとします
それを否定する言葉を私は持たず、そうしてくれる言葉に
出会えていません
これは私の背負う闇であって、いつか負けてしまうかもしれない
という恐怖を感じながらもそれでも生きております
とはいえ、こうして自覚して言葉にできただけ何か進むかもしれない
と、同時に私は常に人と繋がる度にチートしていたんだと思います
詩人の時は詩で、版画家の時は作品で気に入られる事を
私が気に入られる事にして人と関わった
終いには霊感という最強のチートをつかって人の心に
いきなり割って入った
土用予報だってPV獲得のためのチートといえるかもしれない
どこからこうなったんだろうって多分、中学入ったころに
自分は素で関わりたかったのに、クラスメートに敬語を使われだした
辺りから人とどうかかわったらいいか分からなくなった気がするんです
だからその敬語を使われる理由を、勉強や成績のせいにしたかった
のかもしれないですね
こうしてブログに内面の文章をかくのはチートでない自分を
知って欲しいからかもしれない
でも、一方でこれは読み物でしかなく
読んでいる人はきっと今回もオチがついたなと思っているでしょう
今回も自力で乗り越えたと思う人もいると思うのですが
とりあえず直近でいけば昨日も私が体調面の不良はまだイマイチで
頭痛を起こしたので母が心配して傍にいたので
両親のいい夫婦の日を台無しにしてしまいました
私はいつも身内を犠牲にしていると思います、最近は特に
私は最初、恥ずかしながら子育てに怒りがありました
「やっぱり私は子育てにむいていなかった、分かっていたんだ
でもあなたもあなたも私に子供をのぞんだ」
手伝って当然じゃないかという思いが正直ありました
しかし今は、周りに支えられてなんとか子育ての体をなしている
ことに感謝の気持ちを持ちはじめています
それは親や夫や息子が私に霊感や芸術が有る無しに関係なく
関わってくれている人たちだからという部分が大きいと思います
今日は本当は出産前に買った花園神社の熊手を返しに
いきたかったのですが諦めました
眠くて外に出たくない息子を無理矢理抱いて人ごみにつれていく
そんな自分を想像したとき
結局それはいい運を勝ち取るためにすぐ近くの身内を犠牲にする
という生き方を延長するだけじゃないか、と思ったのです
来年は売上がなくとも身内を大事にする年にする
そう思うだけでいい事がある気がするそんな二の酉でした
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