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2016年11月 1日 (火)

友情の名を抱いて友情を見失う

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どうして自分は赤裸々なブログをしたためるに至ったのか
ということをくりかえしこの土用中に考えていました

ぶっちゃけ、友達が欲しくてまずは自分を晒す事にしたし
ここに書いてきたことを気楽に話していいと信頼が置ける人も
いなかったんだと思うんです

私、霊能者になりました、と公表したとき
私は自分の周りがちょっと自分から遠巻きになっていくのが
遠巻きにならずとも接し方に戸惑いをもって接せられるのが
辛かったんです
だからそれまで築いてきた人間関係が信じられなくなってしまって
それでこの自分の内面を知った上で接してくれる誰か
を求める事にしたんです

私は自分から一方的に弱みを晒せるのは限られた人たちなんですが
実は「ちょっとブログ読んだけど大丈夫?」とか「なんか荒れてるじゃん」
と一言フックかけてもらえると結構簡単に誰にでも話をするんですよね
でもそこで「いつでも話してきて」といわれると逆にかしこまってしまうんです

いっとき前の店で仕事をしていた時に精神的にマズかったことがあって
この人には自分の感情を一方的にぶちまけてはいけないという
空気が出来た時に、それまでは自分の悩みを一方的にメールしてきた
人が無理矢理こっちを気遣う枕詞を添えるようになったとき
その白々しい感じがしんどくて却って人を信頼する事にさめてしまった
こともありました。

最近ある人から「君がそうやって抱え込みやすい人間だと分かった上で
関わってくれる人もいるんじゃないのか?」という言葉をかけられて
そうなったらいいのになあと溜め息と希望を同時に吐き出したのも
こんなことを考えるきっかけになった気がします

私が霊能者にならんとなりつつあるあたり、キーワードに出てきた
ミトラという神様は友情が軸になる方でした
私は考えた末、自分も欠点がある人間としての部分をベースに
お客さんと向かい合っていこうと決めました

友情の定義は人それぞれだと思うんですが
ワタシにとって友情っていうのは血の繋がりがなくても
この人と関わり続けたいと願ってぶつかってもがく事で
相手を知りたいと常に思う事だと思うんですね
愛のベースは相手の急所を知っても敢えてそこを刺さない事
だと思うんです。

だから互いに一生敬語でも成り立つ友情が
あると思うんですよね
そんなわけで私には出会ってすぐ強引にあだ名を付けて
呼ぼうとする人の気持ちがよくわかりません

私はプライベートでも商売でもそこの所はあんまり変わらず
接していくようにしているのですが、私のこの接し方は
私のプライベートと音楽の部分でかなり大きなトラブルを
生みました
相手は私に何でも話が出来ることや、話しやすいことで
こちらを友人だ、運命共同体だと盛り上がってくれるのですが
私は彼らから信頼できるような理解の歴史や
繋がりを築けていないためもの凄く取り残された感じになるんです

彼らは決まって言うんです、
「なんか辛そうだなあと思ったけど、声はかけなかったよ」と。
声をかけないのは友情の証だと彼らは言うのですが
正直、いやそれはアタシを愚痴を吐くゴミ箱にしてばかりで
アタシがどんな人間なのか考えたことがないからっしょ?
といつも思ってきました

そして私が何かのきっかけでいい加減にしろ!!というと
それまで友達になりたいと盛りあがってた言葉は
なんだったんだと思うかのように連絡が無くなる

そして私はやりきれずにまたブログを荒らし、そしてライブ会場で
「ヴィヴィアンみたいに今日は私も乱暴な気分」と言われるなど
更なる誤解を生んできました

うむ、音楽をやってたのも心からの友達が
欲しかったんだと思います
ずっとランシドの事考えてました
ティムとラーズみたいな
ずっとクラッシュの事考えてました
晩年のジョーのステージに上がってきちゃったミックみたいな
版画で誰も信じられなくなったから
ずっと心の支えにしていた音楽でそういう人が見つかると思ったんです

ステージの上で「弾くのなんかもどかしいんだ!!」と言って
ギターを投げればブルーハーツの歌みたいに友達に会えると思った
でも、すごい残念だけどほぼ大半友情オナニーみたいな
人間関係で終わってしまった。
だから今アタシはただの母ちゃんです

夢今に疲れ果ててイベントを潰したのも、参加者との
アンバランスな「友情」の関係に疲れ切ったんだと思います
もしかしたらステージ転換の間に残していた
もっと演者を知って欲しい、もしくは知りたいと思って語りかけた
MCの数々が私を願いから遠ざけたのかもしれない

私はミトラという神様を知って自分は友情が分からなくなりました

もし自分が落ち込んだとき、「どしたん?大丈夫?」
と言ってくれる人が3人もいたら、同じ人じゃなくても
そういう人が必ずいてくれると思って過ごす事が出来たら
私はとても生きているのが楽で幸せだと思える気がする

でも、つい先日もつい切れちゃったんですよ
「あなたはいつも本音を口にしないけど、
する努力をした方がいい」と言われてしまって。
なんか私には「あなたは私と友達なんだから私を理解しなさい
そして私に分かりやすいように考えて自分の事を話す努力を
しなさい」と要求ばかりされてるようにしか思えなかったんです
仕事相手ならそれはアリでしょう、でも、どうして
プライベートでまで相手が楽なように一方的に要求されるのかと
そんな関係ばかりで悲しくなるんです

そしてなぜか一方でそんな私を支えたのはお客さんでした
さりげなく差し入れと手紙をくれる人
私はこう思いますよ、とメールをくれる人
自分は深刻に困っていないのに様子をみにきたといって
鑑定に来る人

私は、お客さんはお金を払って私に会いに来ている人たちなので
妄想をぶつけられようが、誤解があろうが全て受け入れる
つもりで割り切った関係でいようとしていました
でも同じようにブログを読んで私に接しているのに
何故お客さんが友情に近い何かで接してくれるのか
私にはどうも未熟過ぎて理解が出来ません

そしてとても感謝をしています

さて、そんな私ですが先日、写真の号のcutにのっていた
池松壮亮さんと常盤貴子さんのインタビューでの池松君の
発言にちょっと救われました
「人間は孤独な部分があっていいと思うんです」
という言葉だったんですが

あーこういう人に囲まれた世界に住みたいけどそうなれなくて
孤独だなあという人が他にもいるんだな
むしろそれが当たり前かもと思う事でちょっと楽になったんです

救われたいと思い続ける事も疲れる事なのかもしれないと

でもって私は「わざとらしく接せられるのが嫌なんだよなあ」
と思って言わないでいたこう接してくれたらという要求を
口に出してもいいのかもと思いはじめました
そうしたらわざとらしくなくそう接してくれる人が
前よりも見つかるかもしれない

もしかしたら、友情オナニーな関係の人への怒りで
見失っただけで実は築けていた良い人間関係も
たくさんわかるかもしれない

でもやっぱり一方で悩んでいます、一方的に友情を感じられている
人にはどう接したものでしょう。
早い段階で「あなたは私と友達のつもりみたいですが私は
友情を感じていませんよ、だってアナタは私と交流する努力を
全くしてくれないじゃないですか」と伝えるのがいいのでしょうか。
なんかそれ、すごく残酷な気がしてためらってしまうんですよね
場も冷めるし。

皆さんどうしてるんですかね

これについてはゆっくりと考えるとします。

 

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