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2016年11月29日 (火)

赤ちゃん筆

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「!!」とか「。」とかつけたらカッコ悪いと思ったんだけど
「!!」とか「。」とかあっても良かったかな…とも思う仕上がり
でも、まあ、良いでしょう(*´꒳`*)


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2016年11月24日 (木)

チート

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帰宅した夫が開口一番の「明日雪になるらしいよ」と言う言葉を聞かぬふり
しかしやはり気になって、おずおずとベランダに出てウロウロした結果
3分の2の植物を取り込みました。
いやしかし、増やしたな…あと20増える予定なんだけど
でも悲しいな、綾錦がもうすぐ死んでしまう。
今年の夏に近所のレストランで一目惚れしたものの
分けてくださいと言えなくて秋になんとかメルカリで手に入れたアロエが
なぜかたった一度の水やりで急激に枯れているのです…トホホ寂しい

私の今回のウツは二週間でやっと解消されつつあり
気圧の変化で激しい頭痛がおきても死にたいと思わなくなりました
私は一方でプライベートで聞き役になりがちだった人たちに
「話が聞けるくらい元気な時にまた会いますから」
と直接伝えるという画期的な方法を思い立ち、伝える事で
ちょっとずつ楽になりだしました

今日はそれと仕事でいい事がありました
今日のお客さんがブログを読んでいて
「先生、育児ノイローゼで死んではいけません、生きてください」
そう言って飴ちゃんをくれたんです

自分でなんとか出来るようになるまで見守っているとか
きっと乗り越えられると信じていたと言われる事とか
そういうのも愛なのでしょうけど
私には自分の精神を消耗し切っている時に
ハッキリした言葉で引き戻してくれる人が現れたことに温かい気持ちになり
そうやって戻してくれる人がいる、と言う世界に住んだら
とても自分は安心できて人を信じる事ができるんだなと思いました

私はいつもたくさんの人に関わりながら、でもこの人たちは
私が荒れたら落ち着きだすまで離れた位置から見てるだけなんだよな
と思うので絶望しないように最後の最後まで相手を信用しないように
壁を作っていた事に今日気付きました
そしてそれが結構な負担になっていることにも気付きました
おかしくなった時に「戻っておいで」と言ってくれる人がいないと
やっぱり生きている事は苦しくなるんですね

私にはもう考えてみれば小学生位から
「私がどれだけ一方的に頼られて辛かったかは
自殺しないとわかってもらえない」
という思いがしんどくなる度にぱっくりと口を開けて
私を飲み込もうとします
それを否定する言葉を私は持たず、そうしてくれる言葉に
出会えていません
これは私の背負う闇であって、いつか負けてしまうかもしれない
という恐怖を感じながらもそれでも生きております
とはいえ、こうして自覚して言葉にできただけ何か進むかもしれない

と、同時に私は常に人と繋がる度にチートしていたんだと思います
詩人の時は詩で、版画家の時は作品で気に入られる事を
私が気に入られる事にして人と関わった
終いには霊感という最強のチートをつかって人の心に
いきなり割って入った
土用予報だってPV獲得のためのチートといえるかもしれない

どこからこうなったんだろうって多分、中学入ったころに
自分は素で関わりたかったのに、クラスメートに敬語を使われだした
辺りから人とどうかかわったらいいか分からなくなった気がするんです
だからその敬語を使われる理由を、勉強や成績のせいにしたかった
のかもしれないですね

こうしてブログに内面の文章をかくのはチートでない自分を
知って欲しいからかもしれない
でも、一方でこれは読み物でしかなく
読んでいる人はきっと今回もオチがついたなと思っているでしょう

今回も自力で乗り越えたと思う人もいると思うのですが
とりあえず直近でいけば昨日も私が体調面の不良はまだイマイチで
頭痛を起こしたので母が心配して傍にいたので
両親のいい夫婦の日を台無しにしてしまいました
私はいつも身内を犠牲にしていると思います、最近は特に

私は最初、恥ずかしながら子育てに怒りがありました
「やっぱり私は子育てにむいていなかった、分かっていたんだ
でもあなたもあなたも私に子供をのぞんだ」
手伝って当然じゃないかという思いが正直ありました
しかし今は、周りに支えられてなんとか子育ての体をなしている
ことに感謝の気持ちを持ちはじめています

それは親や夫や息子が私に霊感や芸術が有る無しに関係なく
関わってくれている人たちだからという部分が大きいと思います

今日は本当は出産前に買った花園神社の熊手を返しに
いきたかったのですが諦めました
眠くて外に出たくない息子を無理矢理抱いて人ごみにつれていく
そんな自分を想像したとき
結局それはいい運を勝ち取るためにすぐ近くの身内を犠牲にする
という生き方を延長するだけじゃないか、と思ったのです

来年は売上がなくとも身内を大事にする年にする
そう思うだけでいい事がある気がするそんな二の酉でした

 

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2016年11月19日 (土)

2016/11/19以降からの鑑定について

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☆この記事は2016/11/19以降しばらくトップに固定されます
最新記事は以下をお探し下さい

寒くなってまいりましたね。最近Pasta e Vino Keiではカレーパスタが
出るのでチョクチョク食べています。
そして、29日にはニンニクアラビアータの提供が始まり、
Yahooニュースにも載りました!よかったら食べにいらしてください!!

さて、
今後の鑑定についてですが14時、15時で受け付けていた
鑑定開始時間の15時以下を廃止
対面鑑定の開始時間をランチ込み13時からに
電話鑑定の最終開始時間も14時までとさせて頂きます

主たる理由はやはり精神面でのバランス管理と
託児施設との兼ね合いです
しばらくは「ちょっと無理をすればやれる」の無理を控える事にしました

ただ、電話鑑定は11時以降の時間に早める事は可能です
対面鑑定は早めるとランチのピークタイムにぶつかるので厳しいですが
13時に多少遅れる場合には対応出来る可能性が
ありますので駄目もとで聞いてみてください

対面鑑定は13時からランチをとってもらい、終わり次第呼び出して
頂くので一応こちらは13時半以降はお店に向かえるよう準備を
してお待ちしております

以下はその他継続の事項です

◎月&金は鑑定をお休みします

◎対面鑑定はPasta e Vino Keiご来店時に
お店でランチを食べてくださるお客様のみになります
基本は13時来店、食事後に私にご連絡いただいてから鑑定となります
(一組40分以上、以降10分2500円ずつ加算は変わりません)
それ以外は電話鑑定での対応となります
開始時間や来店時間の調整については多少融通が利くと思います

◎電話鑑定は変わらず通常は1分260円、40分以上からの鑑定
後日一週間以内に指定の銀行口座に代金お振込となります
鑑定は13時から15時までの間でスタートできますよう調整をお願いします

◎鑑定可能日に空きがあった場合、当日予約であれば40分以下の鑑定を
電話鑑定のみで受け付けます。お知らせはツイッターで行います
(電話鑑定はLineやSkypeでの使用も可能です)

◎メール鑑定は行いません

ご予約は鑑定フォームをご利用いただくか
メール,にてお問い合わせ下さい

さて、ここからは余談です
アメリカはトランプ大統領になりますね。私の感覚では
ホリエモンやニトリの社長が首相に選ばれるようなもんかな
なんて思っていた訳ですが、ネットニュースを読むとトランプ氏の
評判があまりに悪くて不安で倒れそう(苦笑)

でも彼のTPP反対とか米軍基地関連の主張をみる限り
いわば彼は最近の世の中の「自分自身の無理になっていることを
やめる」というムードに合致したからこそ運命的に選ばれたんだな
という気がしてなりません

土用予報を執筆して思うんですけど、今は世の中にあった
ちょっと無理してでも上を目指そう
ちょっと無理だけど理想を目指してがんばろう
の「ちょっと無理」が、時間が経つ事で「だいぶ無理」になり
そのほころびが出てる頃なんだと思うんですね

それは個人レベルに留まらず世界レベルの動きになっており
これからの私たちは
「さて、自分がしていた無理をやめたら一体どうなるの」という
実験を世界レベルでするコトになるんだと思うんです

でも、個人レベルで考えた時に無理をやめたらその後は
明るい希望を感じるものなのできっと世界もよくなるんだろう
と思うしかないよなと思います

これからはこちらが無理せず「それならできる」をということを
選んでやっていかなきゃいけない、そのことを
みんなが色んな範囲で考えなきゃいけないし
こっちも断られたからといって簡単に引かず
「じゃあこれならどうか?」という新しい提案をしなければ
良い未来をつくれないでしょうね。

そのためのエネルギーを私も上手に蓄え直したいと思う
今日この頃の私です

 

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2016年11月17日 (木)

生きづらさと孤独にむきあうこと

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先週は初頭より心身のバランスを崩し、
大きな不調の波に呑まれておりました・・・

先週は頭の方で出産前と同じ気持ちでプライベートで霊力を
行使したばかりか、その日に神宮外苑の5歳の子が焼死した事件を知って
色々調べてしまったんですね、結果かなりの心痛で不眠になり
そっからウツ状態に。

あーやっちまった、どーしよどーしよと思っているうちに
ウイルス性胃腸炎になって突然嘔吐、からの偏頭痛などがコンボで来て
結局祖父の一周忌に出席も叶いませんでした
ただ唯一良かった事は本当に週末の最後に予定されていた
おめでたい式に出られた事です
行く直前まで視界が霞んでこれは人生最後の仕事になるかと
思ったんだけど(大げさ)、たどり着けたら気持ちも変わって
状況も持ち直し、少しずつ人とコミュニケーションするようになってきました

あーでも、こうなるまでが辛かったです
私には自分が死んで全て終わらせるか、霊能の仕事を辞める
ずっとこの2択しか浮かばず、それをずっと頭で巡らせ続けてました

本当は多分、死にたいのではなく、子供が動き回る中で
睡眠にも集中出来ないから、それよりも深く脳を休息させて巡らせたい
と思う結果がこの言葉になっていると思うんですが
実際追いつかず、本当自分が振り切った行動をしそうで怖かった
だから週末に両親が可能な限り傍にいるという選択をしてくれたのが
本当に有難かったです

(出産後、両親とはカウンセラーにしか話してこなかった部分の本音を
自然にぶつけて話すようになったりしてそこは大変な育児の中でも
とても良かったことだと思っています)

思えば、この霊能の仕事をはじめて、前の店で人員不足をきっかけに
月四回ほど行っていたライブを削りだした辺りから私の体は
目に見えて弱っていった気がします。
有難い事に大病はしていないのですが、ちょっとしたジェットコースターの
ようなもので心臓がバクバクしすぎておかしいなと思って
最近息子と公園に行った時に滑り台さえも怖くなって結構
ショックだったんですね
そのジェットコースターもどきでバクバクした話を当時のボイトレの
先生に話したらもうそれは治らないんじゃない?と言われたのを
思い出して落ち込み、
自律神経も心肺機能も老人並みに落ち込んだまま下手したら
30年以上生き続けられるのかと考えたら人生が凄く厳しく暗いものに
感じてしまった、これも今回の落ち込みを加速させた要因の一つでした

もしかしたら良い解決策のある回答に自分はたどり着けないという
落ち込みと劣等感・・・これがもうどうしようもない

それでもどうしたらいいのか、方法も考えました

一番早いのは、誰かに速やかに相づちを打ってもらいつつ
話を聞いてもらい頭を整理する事なんですよね。
そういう人を見つける事。
前にうぬぼれ刑事ってドラマがあってそこでうぬぼれ5って呑み仲間が
いるんですけど、そのうちの一人に何かあるとみんなでヘイヘイヘイ
っていいながら突っ込みながら話を聞くんですけど
あれすごくいいなーと思って憧れて自分もなんとかそういう仲間を
作れないかと思って、今思えばお店のお客さん集めて女子会とか
夢今の飲み会とかそういう気持ちでやったんだと思うんです

でもやっぱり主催はあくまで主催で、そういう会を作っても
やっぱりまとめ役にしかなれなくて、話をよってたかって
聞いてもらう事はできないんですよね。
今年も夏に挑戦したけどやっぱり自分が救ってもらうという
環境を作れず聞き役になってしまった

だからもうこれはお金をだして仕事としてやってもらうしかない
と思って考えたのがやっぱりホストクラブかなと思ってるんですが
子持ちにはそんな度胸と余裕がすぐにでない・・・

なので、やっぱり前回と同じ結論ですけど、仕事外で霊力を使わないよう
極力環境を整えたり、行使してしまった人には友情は成し得ないと
伝えたり、あと聞き役ポジションになってしまった人から離れるしかない
んだと思い、少しずつそういう話を伝える気力を養おうとしています

でもね、私が悪いんですよ。放っておけないなとか思うから
いや、こんなきれいごとじゃない、これ以上仕事以外で疲れたくなくて
摩擦を避けたくて使った事も何度もある
しかし、その結果、また頼られるのが怖くて行けなくなった場所を
増やしているし、わっと頼られるのを避けたくて誤解が生まれやすいのに
メールでしか人と応対もしなくなったけど

これからは今まで以上に自分が霊能者だと伝えて力を使ってしまったら
その店にはもう立ち寄らないとかもっとルールを厳しくしないとな
と考えてます。あとはなんかおまじないでも探しますかね。

そんなことをぐちゃぐちゃ考えていた先週、何故か突然青虫がわいて
大事なバジルが突然2つも食われて瀕死になってしまいました
なんか不調になると管理が行き届かないからか必ずこういうことが
起きるんですよね
そしてネガティブなのに植物を買いたい欲だけはどうしても収まらない
この不思議

答えが出せないのは、誰かには簡単に出来ている事が自分には
できないという劣等感で自分に腹を立てたり、やり場のない怒りを
かかえているせいなんだと思います、本当に困った事で。

とりあえず、1日1日を積み重ねていこうと思います。


 

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2016年11月 1日 (火)

友情の名を抱いて友情を見失う

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どうして自分は赤裸々なブログをしたためるに至ったのか
ということをくりかえしこの土用中に考えていました

ぶっちゃけ、友達が欲しくてまずは自分を晒す事にしたし
ここに書いてきたことを気楽に話していいと信頼が置ける人も
いなかったんだと思うんです

私、霊能者になりました、と公表したとき
私は自分の周りがちょっと自分から遠巻きになっていくのが
遠巻きにならずとも接し方に戸惑いをもって接せられるのが
辛かったんです
だからそれまで築いてきた人間関係が信じられなくなってしまって
それでこの自分の内面を知った上で接してくれる誰か
を求める事にしたんです

私は自分から一方的に弱みを晒せるのは限られた人たちなんですが
実は「ちょっとブログ読んだけど大丈夫?」とか「なんか荒れてるじゃん」
と一言フックかけてもらえると結構簡単に誰にでも話をするんですよね
でもそこで「いつでも話してきて」といわれると逆にかしこまってしまうんです

いっとき前の店で仕事をしていた時に精神的にマズかったことがあって
この人には自分の感情を一方的にぶちまけてはいけないという
空気が出来た時に、それまでは自分の悩みを一方的にメールしてきた
人が無理矢理こっちを気遣う枕詞を添えるようになったとき
その白々しい感じがしんどくて却って人を信頼する事にさめてしまった
こともありました。

最近ある人から「君がそうやって抱え込みやすい人間だと分かった上で
関わってくれる人もいるんじゃないのか?」という言葉をかけられて
そうなったらいいのになあと溜め息と希望を同時に吐き出したのも
こんなことを考えるきっかけになった気がします

私が霊能者にならんとなりつつあるあたり、キーワードに出てきた
ミトラという神様は友情が軸になる方でした
私は考えた末、自分も欠点がある人間としての部分をベースに
お客さんと向かい合っていこうと決めました

友情の定義は人それぞれだと思うんですが
ワタシにとって友情っていうのは血の繋がりがなくても
この人と関わり続けたいと願ってぶつかってもがく事で
相手を知りたいと常に思う事だと思うんですね
愛のベースは相手の急所を知っても敢えてそこを刺さない事
だと思うんです。

だから互いに一生敬語でも成り立つ友情が
あると思うんですよね
そんなわけで私には出会ってすぐ強引にあだ名を付けて
呼ぼうとする人の気持ちがよくわかりません

私はプライベートでも商売でもそこの所はあんまり変わらず
接していくようにしているのですが、私のこの接し方は
私のプライベートと音楽の部分でかなり大きなトラブルを
生みました
相手は私に何でも話が出来ることや、話しやすいことで
こちらを友人だ、運命共同体だと盛り上がってくれるのですが
私は彼らから信頼できるような理解の歴史や
繋がりを築けていないためもの凄く取り残された感じになるんです

彼らは決まって言うんです、
「なんか辛そうだなあと思ったけど、声はかけなかったよ」と。
声をかけないのは友情の証だと彼らは言うのですが
正直、いやそれはアタシを愚痴を吐くゴミ箱にしてばかりで
アタシがどんな人間なのか考えたことがないからっしょ?
といつも思ってきました

そして私が何かのきっかけでいい加減にしろ!!というと
それまで友達になりたいと盛りあがってた言葉は
なんだったんだと思うかのように連絡が無くなる

そして私はやりきれずにまたブログを荒らし、そしてライブ会場で
「ヴィヴィアンみたいに今日は私も乱暴な気分」と言われるなど
更なる誤解を生んできました

うむ、音楽をやってたのも心からの友達が
欲しかったんだと思います
ずっとランシドの事考えてました
ティムとラーズみたいな
ずっとクラッシュの事考えてました
晩年のジョーのステージに上がってきちゃったミックみたいな
版画で誰も信じられなくなったから
ずっと心の支えにしていた音楽でそういう人が見つかると思ったんです

ステージの上で「弾くのなんかもどかしいんだ!!」と言って
ギターを投げればブルーハーツの歌みたいに友達に会えると思った
でも、すごい残念だけどほぼ大半友情オナニーみたいな
人間関係で終わってしまった。
だから今アタシはただの母ちゃんです

夢今に疲れ果ててイベントを潰したのも、参加者との
アンバランスな「友情」の関係に疲れ切ったんだと思います
もしかしたらステージ転換の間に残していた
もっと演者を知って欲しい、もしくは知りたいと思って語りかけた
MCの数々が私を願いから遠ざけたのかもしれない

私はミトラという神様を知って自分は友情が分からなくなりました

もし自分が落ち込んだとき、「どしたん?大丈夫?」
と言ってくれる人が3人もいたら、同じ人じゃなくても
そういう人が必ずいてくれると思って過ごす事が出来たら
私はとても生きているのが楽で幸せだと思える気がする

でも、つい先日もつい切れちゃったんですよ
「あなたはいつも本音を口にしないけど、
する努力をした方がいい」と言われてしまって。
なんか私には「あなたは私と友達なんだから私を理解しなさい
そして私に分かりやすいように考えて自分の事を話す努力を
しなさい」と要求ばかりされてるようにしか思えなかったんです
仕事相手ならそれはアリでしょう、でも、どうして
プライベートでまで相手が楽なように一方的に要求されるのかと
そんな関係ばかりで悲しくなるんです

そしてなぜか一方でそんな私を支えたのはお客さんでした
さりげなく差し入れと手紙をくれる人
私はこう思いますよ、とメールをくれる人
自分は深刻に困っていないのに様子をみにきたといって
鑑定に来る人

私は、お客さんはお金を払って私に会いに来ている人たちなので
妄想をぶつけられようが、誤解があろうが全て受け入れる
つもりで割り切った関係でいようとしていました
でも同じようにブログを読んで私に接しているのに
何故お客さんが友情に近い何かで接してくれるのか
私にはどうも未熟過ぎて理解が出来ません

そしてとても感謝をしています

さて、そんな私ですが先日、写真の号のcutにのっていた
池松壮亮さんと常盤貴子さんのインタビューでの池松君の
発言にちょっと救われました
「人間は孤独な部分があっていいと思うんです」
という言葉だったんですが

あーこういう人に囲まれた世界に住みたいけどそうなれなくて
孤独だなあという人が他にもいるんだな
むしろそれが当たり前かもと思う事でちょっと楽になったんです

救われたいと思い続ける事も疲れる事なのかもしれないと

でもって私は「わざとらしく接せられるのが嫌なんだよなあ」
と思って言わないでいたこう接してくれたらという要求を
口に出してもいいのかもと思いはじめました
そうしたらわざとらしくなくそう接してくれる人が
前よりも見つかるかもしれない

もしかしたら、友情オナニーな関係の人への怒りで
見失っただけで実は築けていた良い人間関係も
たくさんわかるかもしれない

でもやっぱり一方で悩んでいます、一方的に友情を感じられている
人にはどう接したものでしょう。
早い段階で「あなたは私と友達のつもりみたいですが私は
友情を感じていませんよ、だってアナタは私と交流する努力を
全くしてくれないじゃないですか」と伝えるのがいいのでしょうか。
なんかそれ、すごく残酷な気がしてためらってしまうんですよね
場も冷めるし。

皆さんどうしてるんですかね

これについてはゆっくりと考えるとします。

 

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