ボリジが咲いた、その2
なんというか、慣れていないのも多分にあると思うんですよね
今までテーブルにのぼって人の飯を奪ってそれを踏みつける人と
暮らしてきた事ないですし
この環境の変化たるや今までなら周りが
「そんな男別れちゃいなよー」といってくれたはずなのに
突然「嫌、彼だっていいとこあるかもよ、別れちゃだめだよ」
といわれるようなもんですからこれは戸惑います
ていうか、寧ろそういう訳の分からない人とは普通なら縁を切って
きたのにそれが出来ない訳ですから
ムッチャンに翻弄される時に私はいつも思うんです
これはGKなんだと
DFが間に合わず一人で敵チームからバンバンシュート決められてるよな
この感じ
植物に水をあげにいこうとしたらムッチャンが棚の本を全部出して
猫の砂を食べようとしていて
駄目だって制して手を洗おうとして横目でベッド見たら
今朝ムッチャンのお世話でトイレ掃除がままならなかったのに怒って
猫がまさにベッドシーツにションベンしてるシーンをみるとか
まさにシュートの感じ
将来の年金対策ニッポン代表サッカーのGKですよ
しかも休みなく猛攻、休憩無し
「こういうところに相談にいけばいいよ」という言葉には
「いやいや、シュート続いてて離れられないから!」と思い
「サービス使って休んだ方がいい」と言われれば
「他のメンバーが動いてるのに自分だけピッチを抜けられない」
という気分で
「他のお母さん達は一人で頑張ってるのに自分だけできない」
と思い
「すげえしんどい!!」
と叫びたいけどそういった日には
「子供が欲しくても授からない人もいるのに?」という言葉が
「日本代表に選ばれなかった人もたくさんいるのに
辛いとか言うな」というテンションで刺さってくる気がする
だからためらってしまったり叫んだら叫んだで罪悪感が酷い
ていうかそもそも子供のいたずらを許せる理想的なお母さんてのが
アタシには「ゴールをバンバン決められても全然気にしないし
むしろ負けてもいいと考えているGK」みたいなイメージなんですよ
ここまで、「仕事で成果出したい、趣味も極めたい!」みたいな
モチベーションで生きてきていると全く真逆な人間になれと
強要されるようでこれが更に苦痛を極める訳です
辛くてもたった3年ですよ、とも言われるけど
サッカーは打たれまくっても45分後にはハーフタイムが入るのに
打たれまくりで終了が見えない気分で終了は3年後です
と言われたら途方に暮れます
そして「そんなに考えて子育てしないで、気楽にね」
という言葉は
勝負にこだわらないでゲームを楽しもうよに感じてしまう
んなこといって「結局日本はメダル無しか」と同じテンションで
「親の育て方が悪かったんだね」ってアンタはいつか言うんだろ!!
という怒りとそれを言い出せない絶望感で凹む訳です
全部の球を弾いてやるぜ!!というモチベーションを変えずに
子育てをする方法が見つかればそもそもここまで苦しまないのではないか
最近はこんな風に思うのです
顧客のニーズを分析するかのように奴(ムッチャン)の行動を
分析する時間が取れれば・・・
ていうか母親学級で病院やパパママ教室で重複しまくる沐浴指導
や、多忙さの末に侭ならなくなる栄養指導をするくらいなら
何故前園を呼んでアンガーコントロールを教えてくれないのでしょう
そういう深刻になってはならない場面ほど理論で解決出来る訓練が
有効なのに母性とか赤ちゃん神聖論を持ち込むから
子育てが苦しくなるのではないでしょうか
とはいえ、ちょっとだけ偶然にも先ほど私は
もしかしてコレが?という光明をみました
アタシも大変だが、ムッチャンも赤ちゃんなりに辛いんじゃないか?
と思う事で事態は好転するかもです
こどもはいつも楽しげで親ばかりが尻拭いで苦労する
と思うとキツいですけど
自分も子供の時「大人はわかってくれない!」ってしょっちゅう
思ってなかったかしら?
てか書いてるうちにもう4時っすね
ミッシェルの歌じゃないけど
普通だよって言ってもらえたらな、何度でも
あと洋服をもらってくれる人みたく
育てきれなくなった植物の安定供給先があれば
もうちょっと趣味にはまれるんだけどなあ・・・
いい場所ないすかね。
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