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2016年6月19日 (日)

殺しの運命

殺しの運命
今日は長國寺のいきいきあじさい祭に行き、
特別祈祷やキュウリ汁をいただいてきました。
ご祈祷中は頭にのせたカワラケの上にお灸を据え、
百会というツボを刺激したんですが、これが自律神経に効くそうで
たしかにじんわりいい感じがします

そんなアタシですが、ここに来て気持ちが落ち込む事が激減しました
ひとえにベランダガーデニング効果です
グリーンってヤツはどんだけ偉大なんでしょうか

しかしここにきて、ガーデニングの負の側面である虫に
悩まされております
昨日、空芯菜がおかしな動きをしておりまして
よくみたらカメムシがおりました
なんでか子供の頃は何でもなかった虫が、記憶から遠ざかっていた
ことによってとても怖いものになってしまっておりまして
夫に助けを求めたのですが、彼から
「自分で始めたガーデニングなのだからなれなきゃ駄目だ」
と突き放され、私はカメムシのいる鉢をもったまま
朝から途方に暮れました

その場でネットで調べたのですが、カメムシを逃がした所で
戻ってきそうですし、戻ってきて室内に入られてもいい事がなく
食害も広がるため、泣く泣く私は殺してしまいました

カメムシの目はとても澄んでいた気がして
その記憶が揺り戻るたびにこの殺生は本当に正しかったのかと
今でも胸を刺す様な思いに苛まれております

誰かにしょーがないと言われたいけど
そういう人がいないんだなこれが!!
なんかアタシ以外の人間の大部分はきっとカメムシを殺さない
手段を選んでいたはずだとかどんどん考えちゃうんですよ
お釈迦様に見捨てられるとか悶々と悩んでいく訳です
というわけで

この他にも夜盗虫との闘いなどもこなすうち
アタシは生きるという事は何かを殺す事から本質的には
逃れられないのではないかと思うようになってきました
なんつーか、虫を殺すのになれるという事は
本質的に戦場で人を殺すのに慣れる事と繋がっているとも
思ってしまうし
また、私はラッキーな事に今まで生きるために何かを殺す役を
誰かにまかせて生きてきただけなんでないかとも思うんです

だからアタシはいまいち動物愛護運動にも積極的に
なれないんですよね、なんか、生きることの残酷な側面を
直視しなくてよくなった人間達が、
たまたま見てしまった闇にショックをうけて
大局を見ずに八つ当たりを
一方的にしているように見えちゃうんですよ

アタシも結局カメムシを殺すしかなかったショックから
その後夫に八つ当たりをしていました
ある種を殺す事に慣れても、命を大事に思う事は出来るんでしょうか
鯨塚や魚塚を作って供養した先人達の思いに
寄り添いたいと思うアタシです

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