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2016年5月28日 (土)

夢今オーガナイザーの栄光と没落

27歳の時にずっと憧れていた音楽を始めた
いろんな場所でライブハウスのノルマへの不満をきいたり
ライブハウス側の不満を聞くうちにそのことが気になってしまった

ただ不満を言うんだったら何か行動した方がいいよな

そう思ってある日イベントを始めた
夢よりも今を語れ、通称夢今、ゴロがいいから当たるだろう
根拠はないがそう確信してイベントをはじめた

最初の頃はやっぱり自分でもイベントをやるような尖った人が多かった
それで夢今に出て自分でも何かやるんだけど
ポイントがちょっとズレているんだよなあと思い
やるんだったら、ずっと続くものをして欲しいよなと思い
数年イベントを動かしたある日手の内を全部ブログに書いた

これでいいなと思ったが、返って来た反応は
「イベントについていきます」というものが多かった
アタシは「あれおかしいな?」と思いはじめたが
対処の方法も浮かばなかったのでそのまま続けた

でも本当はこの時点で一回止めたら良かったのかもしれない
そして私はいろんなものを載せ込みすぎた

「これから」という小さなライブハウスやバーと
ミュージシャンが出会うことや
生活が大変になって普通なら音楽活動をやめてしまうミュージシャンを
15分の魔法で続けさせたいとか
ただシンプルにミュージシャンと詩人と画家とライブハウスが
負担の少ない条件で出会えるようにしたい
という当初の目的から随分と願いが広がった

そしてコインマッチという制度を導入した
これは自分の中では画期的な仕組みだったが
結果的にアタシの心をぶっ壊す一因になる諸刃の剣だった

これにより、集客を棄てても自分の音楽に向き合うタイプ
集客を頑張るタイプ、どちらのミュージシャンにも平等に
収入の機会を与えられたのはいいことだったが一方で

いつもギャラが発生するミュージシャンが決まって来て
彼らのやる気に反比例してコインを集められないミュージシャンが
内向的になっていった
絵心ゲストで呼んだアーティストの感想が芳しくなくなってきた
会が予定調和になって集客が落ちていった
なにより、新しく参加したミュージシャンの居場所がなくなっていった
これは私の望んでいた方向性ではなかったため
アタシは大きく苦しむ事になった

本当はコインの稼げないミュージシャンと話して
どうやったらこの状況を挽回出来るか、なんて作戦会議をしたかった
そんなことばっかり考えていたから次はもうライブハウスを
やるしかないかなと思った
でも、休む事を決断出来ないぐらい疲れていた

そして、どこかで夢今の出演者も関わる人も家族だと思っていたから
やめる決断が出来なかった

ある日、会が制御不能になるという事態が起きた
私はいつも夢今をベタ褒めしている参加者に助けてほしいと望んだ
しかし彼らはその人達をなんとなく冷たくするというレスポンスで答え
アタシはそれが相当堪えた
そんな村社会をアタシは望んじゃいなかった

家族だ、という感覚が揺れはじめた

そんな中私には立て続けに出演者同士の仲違いの仲裁や
確実に人を傷つけるかもしれないネタの映像の公開の有無
など熟慮が難しいトラブルがたて続いた
しかしワンマン営業のイベントだったため、
それらと一人で対峙するしかなかった
「はきそう」「もう死にたい」
眠れないでパンパンの頭でそう呟く事が増えた

「夢今はいつも人が集まってるから大丈夫」そういわれる一方で
アタシは映像を作ったり紹介の文面を変えたりあがき続けていた
主催者からの素晴らしい映像、そういわれるより
同じように多方面から何か斬新な告知を、紹介を考えてくれないものか?
出演者にそんなことを望んだが上手く伝えられない

私は既に新しい曲を書く事も満足いく練習も出来なかった

そんなある日、懐かしい人がイベントに出てくれた
そのあとその人と飲む機会があった
その別れたあとのメールにこう書いてあった

「六九狂ヴィヴィアンをもっと大事にしなよ」


泣き崩れた


私はこのままいくともう音楽をやれなくなるだろう
それでオーガナイザーになっていくんだろう
彼らのために?
本当に自分を犠牲にするの?
ステージに立つ事が生きてる事だ、思ったものが消えていくのに?

アタシはこの辺りでずっとこんなイメージを考えていた
オーガナイザーの松崎ミトラというアタシが
六九狂ヴィヴィアンの首を締めている
ふたりの力は拮抗していたが、ついにミトラの力が勝ちはじめていた

「あああああああああああああっ」

もうこう叫ぶしかない断末魔の声でヴィヴィアンはもうちょっとで死ぬ
でもミトラであるアタシもあまりに辛くて泣いていた

夢今のアタシと、歌うアタシはどっちも必要な親友だったのに

そのことがいたたたまれなくて何にぶつけていいかわからなくなって
そしてアタシはステージで喚いてブログに文をぶつけた
そしてアタシは、妊娠した

妊娠で肝心な事はうやむやになった

書いた文章について、意見がない訳ではなかった
年末の飲み会で、ある参加してくれてた人から

「そもそも表現者同士はライバルであって
ファミリーなんて存在しないのだ」
と言われた

霊能者なんて仕事をしていると実際に届いた言葉を
天の声だったりその場の真実だと思いがちだ
私は、それを寂しく受け取った

悪阻で苦しかった最中、占いのお客さんが
必死で私を助けようと連絡をし続けてくれたことも寂しさに
拍車をかけた
夢今で、ああしてくれ、こうしてくれ、と言ってきた人たちが
一斉に沈黙した
あれだけ必死にやってきた音楽で自分に何かあった時に
誰も傍にいてくれない様な人脈しか作れなかったのかと
考えた

それでも妊娠の身体を押して40回までやろうとしたのは
せめて数の達成感だけででも自分を褒めたかった
しかし、それすらも身体が許さず叶わなかった

やれなくなりました、ごめんなさい
方々に頭を下げた時、あっさりと受け入れられたときも
安心したのに寂しかった
自分が自分を殺しかけてまで守ろうとしたものは
あっさりと受け入れられるくらい単純に終われるものだった

音楽からイベントから、身をひくきっかけが
絶望ではなく妊娠だったのは御上の恩情だったのかもしれない
そんな風にも考えた

夢今を、もう思い出すのも嫌だと思いながら同時に
どうしたら今でもやれたんだろうと思う

ただ一つだけ分かる事は、
自分を投げ打って何かにのめり込みすぎる人間は
一生懸命生きているのに
「幸せな人生だった」と思う事が難しい
できればやめたい生き方なのに
慣れ親しんだ居心地の良さが邪魔をする

そんな最近、あるお客さんがくれたキヨシローのCDをかけたら
キヨシローさんの声がした
「ベイビー、音楽はすぐに伝わるって思うだろ?
でも実は時間がかかるものなのさ」
「そんなもんすかね?」とアタシは呟いた
「そんなもんさ」そういって微笑みながらマボロシは消えた

そんなもんすかね?
よくわからないから今日もアタシは母ちゃんという仕事を
全力でやっている

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