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2016年5月31日 (火)

自己愛と子育て

自己愛と子育て
Pasta e Vino Keiでのアヤさんの写真展が終わり、
その搬出に来た日おおつか音楽祭があり
橋本君が出たので皆で観にいきました(ハッシー写真なくてごめんよ)

ずっと避けていた夢今にまつわることをブログに書けたのは
この日久々に彼のステージをみたことも大きかったかもしれません

アヤさんが撮った↑の写真をみたときに
「あー自分こんな顔するようになったんだなあ」
とつくづく思いました

前回の文章をあげたあと、アタシって労働で愛を買おうとするとこ
あるよなあ、これが人生のつまずきの原因の一個だよなあと
気付いたんですが、じゃ、愛ってどこにあるのよ?と更に考えたら
ああっ!と思ったんですね

愛はアタシの中にあるじゃないかと。
人間は誰しも自己愛が標準装備されているんだって気付いたんです
結局親は子供が自分の自己愛を満たそうとする時に
一番にそれを応援して、
最初に自分を一人の人間として認めてくれる人になりゃいいのだろうと

アタシは愛が足りないんじゃなくて、自己愛を満たすことを
承認してくれる相手を求めていただけだったんですよ

私は極めて一般的に育ちましたが、今思い出すと結構母が怖かった
記憶があるんです。
箸が上手く使えなくて食べ物を落としたのを怒られたけど
母が自分で落としたときは怒られないのをズルいと思ったり
周りの友達が母親の事をママと呼んでたので真似してみたら
「ウチにはママなんていません」と冷たく言われたり
とにかくそういう記憶が多い、でもって小学校あがったら
友達と遊びたいけど毎日出て行ったら怒られそうだから
回数を決めようなんて思っていて、これってあきらかに既に
親の顔色をみていたよなと思うんです

母はおそらく弟と二人の育児が手一杯だったんでしょう

ただ顔色をみて安全な範囲で行動するようになったアタシは
20歳を過ぎた頃、その基準となる柵がなくなりパニックするように
なりました。自由なはずで、それを求めているのに、柵を探してしまう
そんな人生だったと思うんですよ

ただこれって日本では珍しくないことなんじゃないでしょうか
占いの顧客として集中するアラサー世代はカミサマの言葉を
柵の代わりにしているような部分を感じる事がありますし
ウチの近くには英才教育の塾みたいなものがいくつかあるんですが
そこから子供連れて出てくる母ちゃん達の余裕がない顔つき
をみると同族嫌悪を感じたりします
あくまで主観ですが、なんか子供をきちんといい子にして
親の教育が悪いって後ろ指さされないようにしよう、という
そういう気持ちを感じてしまう。
もしそうだとしたら、このタイプの親御さんってのはやっぱり
自分が子供のころに親にそういう反感を抱いたのではないかと
思ってしまうのですね、ほんと、アタシのただの主観だけど

武家の子なんだから武士であれ
長男なんだからちゃんとしろ
女の子なんだからおしとやかに
なんて歴史物の台詞から私の子供時代に聞いた台詞を思い返すと
子育っててのはとある鋳型に粘土みたいにホニャッとした子供の自我
を叩き込んで成形する様な感覚で行われてきたように感じるんです
ここ日本では

でも、自我ってのはすでに親がどうこうする前からあるんですよ
うちの息子も最近は喜んでアタシや何やらを指差しますが
これは指差しなさいって言った訳じゃないですもん

息子には息子なりに世界を見た結果、やってみたかったり
ためしたいものがあるんです
だからアタシはそれを普通に友人と対峙する延長のように
接して、この人は話をとりあえず聞いてくれると安心させればいいのだ
と思いました。
と、同時に彼が自分を愛せるようにお膳立てが必要なので
お互いの折衷案みたいなところで要求を満たす事を考えはじめました
それが出来ないときは「もしこれが息子じゃなくて夫だったら?」
と置き換えます
あとは、与えちゃいけない食べ物とかを
「幼児という生体のマニュアル」
として頭に入れておく
怒る人もいると思いますが、猫を飼ったときのことを
参考にしました

具体的な事で言うと、息子が読みかけの本を齧ったり破ろうとし
それをとりあげて泣かれたら、代わりにどうでもいい広告の冊子を
あげる。もしくは泣かれる前にそれをやる。
この場合、彼が紙で出来た本を破ったり舐めたりしたい
という要求をきくわけです

あとは、息子が麦茶のストローをパックから引き出してよく単体で
遊ぶのも片方の先端が尖っているんで良く取り上げてましたが
最近はハサミで尖った部分を切って返したりします
彼がストローという素材を楽しみたいという欲求は妨げないんです

あと、絵本を破っても究極怒らないで見守る必要もありますね
これは「彼の本」だから、それが嫌ならアタシの本をもう一冊買う
くらいの気持ちはいるかもと思いはじめています

と、こんなことをはじめました。

そうしたら子供と向き合うのがだいぶ楽で楽しくなったんですよ
なんか色々マニュアル読んだけど、いらねーじゃんって。

息子には自分を好きになって欲しいです
将来何か意見が合わなくて孤立することがあるとしても
母さんみたくありのままの自分をみつめてくれる人が
どこかにいるはずだ
と思ってくれたらサイコー

なのにさっき寝かしつけの時、バスクリーナーの詰め替えを
最安値で売ってくれる通販会社を探し当てるのに夢中になって
スマホをいじってしまい寂しく寝かしてしまいました・・・あーあ
理想と現実はどうもまだアレです

でも、愛情を伝える機会はたくさんあると信じて
引きづらないようにします

↓の写真は今日の夜から見られる萩原さんとお友達の二人展
がらっと雰囲気が変わりました。6/25には参加自由のオープンマイク
期間中2ヶ月間、弁財天パスタも売り出されます
是非またお店にいらしてくださいね

ちなみに私の鑑定予約、六月はがら空きです

 

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