常習性というもの
また少し、夫の言葉を間違って聞くようになった
一過性なんだ、医者に聞いたばっかじゃないかと
自分に言いきかせながらも「そうならなかったら?」
という不安から目を背けようとする
月曜日
やりたかったことが出来なくなりそうになって
焦って顔がこわばったら視界がぼやけた
それがなんとかやれてふらっとしながら家についたら
靴があるのに散歩に行ったはずの夫と息子がいない
変だと思いつつも忘れ物をとりに戻って帰って来たら夫がいて
「さっきから自分はいたが君は独り言をいって出て行った」
というのでワッと泣きそうになった
私には二人がみえなかったのだ
そしてまた左胸がちくりと痛んだ
疲労なのか、脳の異常なのか、老化なのか
原因が分からないまますすむことがとにかく怖くなる
しかし、確定申告の書類を提出する期限は決まっているから
少しでもすすめなくっちゃならない
レシートをたどっている過程で
自分の心がおかしくなった日付を思い出し
それから一周年も近づいているのを意識してしまう
煙草が吸いたいなあ、と思った。
私はどうしても自分の「聞いて欲しい」を上手く満たせないうちに
その気持ちをおさえて周りの人の「聞いて欲しい」が上回る時がある
そういうとき、
煙草をくわえて音楽を流しながらボーッとすることを求めた
とはいえヘビースモーカーだった夫と比べ、アタシの喫煙は
月に三本とか「だったらやめなよ」と言われるような本数だったし
だから夫の禁煙につき合って本数が更に激減したので
喫煙を止めるのは苦痛ではなかった
でもふと、人に話せる段階をこえて自分が追い詰まった時
その煙草一本分と過ごす時間が失われた事がとても寂しくなる
そして、紫煙がよりそってくれてたものに代わるものが
アタシの生きる今の世界に何一つない事に絶望的な気分になる
煙草をもう吸わないんだ、といえばあちこちで
良かったね、健康に悪いものねと喜ばれる
でも、私がその分悲しみを緩和する道具を失ってしまった事
は誰も知らない
私が好きだったあの野球選手は
「そんなものやめろよ」ではなくて
「そんなもののかわりにおれがなれないか」
といわれたら未来は変わっただろうか
仕方ないので煙草と過ごした10年を
「別れてしまって二度とやり直せない恋愛」だと思う事にした
駄目だと言われれば愛は燃える
だから寄り添った日々を美化する事にした
iggy popを聴きながら、人差し指と中指を口にあてがって
息を大きく吸って吐いたらちょっと泣けた
アタシの隣で寝付けずにくるくる回る息子が笑った
「分からない原因」もそろそろ勝手にこれだって決めてしまおう
そうすれば気持ちも落ち着くかもしれない
ちなみに夫に禁煙の話を聞いたら
「酷い恋煩いみたいだった」と言われた
常に頭に浮かんで離れなかったそうだ
やっぱり愛の形は人それぞれらしい
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