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2016年1月 2日 (土)

友情と反省2016

友情と反省2016
悪阻以降、毎日文字を追うのが辛くなって解約した日経を
再び読む機会に恵まれまして目を通したのですが
当時は全く読んでられないと思った記事を結構スラスラ読めて驚きました

仕事で霊視してぐったりすると頭がはたらかなくて
文字も内容も頭に入らず、後日に読もうとした新聞が山になったのですが
やっぱりあれはアタシが怠慢だからではなくて

霊能者という仕事をしながら文字を追うのは
私にはキャパが越える事だったんだなと実感しました

ここにきてもう無理はいけないと口にしてもやっぱり
無理をしないと幸せになれない
(自分の何かを犠牲にしないと幸せを受け取ってはいけない)
という考えがしっくりくるわけでして
だから新聞が読めないたびに自分は怠慢だ根性が足りないと
よく己を責めてばかりいたんですよ

購読をやめた理由の一つは上記だったんですが
もう一個理由があってそれは新聞を読んだ知識に興奮し
誰かとそれを深めて話し合いたい、と思うのが辛かったんです
そういう希望あふれる好奇心を育てるのに疲れちゃって

何故ならそれを語り合える相手がいなくて心がパンパンになったからです

そういう話をするためにお茶やご飯の約束をした日には
夢今の運営などにどんだけしわ寄せがでるかと思うと
怖くて時間が取れませんでした

自分にできることの全てを捧げること、捧げきることが正しいことだと
思っていたんですが、結局その無理を噴出させたら駄目なんですがね
私はどうしても学びません(や、でも気付くだけヨシにしたいけど)

そして友情ってのはやっぱり長い時間を過ごしたり
何度か顔を合せるうちに自然とフィーリングがあって成立する
ものだと思うんですが
そういう時間を切り捨ててしまった事で人に対して心を開くのが
難しくもなってしまったんですがアタシはそれに気付きませんでした

だからせめてブログで発散しようとしたんだけど
そういう動いた感情の全部を記事にするには
時間も労力も足りなかったのです

19歳の予備校の頃、政治から恋愛からトラウマからエロからウツまで
ジェットコースターみたいに七色に感情を変えても受け入れてくれた
あの頃の仲間とコミュニティを最近懐かしく感じます

そして神様ってどうなっているんですか?なんて聞かれると
「ごめん、今したいのはそういう話じゃなくてもっと固い話」
とか言えなかったアタシも悪い

正直アタシ、霊界はどうなってるとかって話は
あんまり好きじゃないんです
高次元の人間になるにはどうとかっていう話もいまいち
なんつーかそういう話を振る人てのはどうも
「こういう話をしている自分は選ばれた人間かも」っつー
ポイントで目がキラキラしていて
努力とか生きるってことから遠くに行ってしまう気がしてならない

霊能という仕事を生業にしても尚、アタシは
神様を信じてポジティブなことを言っていれば
幸せになれるんですよね?っつー人よりも

神様っているんですかね?っていいながら
ギリギリ七転八倒している人のほうが好きです
そういう人が吐く個性的で生きた言葉がね、たまらない。

話がしたい、
たまたま読んだ漫画のくだらない台詞とか
胸が震えるほど感動した映画のシーンについてとか
お客様へのサービスはどうあるべきかとか
商売の向こうで愛を伝えるにはどうしたらいいのかとか
そういうのをごく自然に話してみたいですね

たぶんアタシはミトラのキャラをやりすぎて自分を見失ったんだな

もう一回、19歳の頃みたいにまず手っ取り早く
うざくなってみるかな
鼻水垂らしたまま人に会ってみるとか?
会っていきなり・・・いや、やめとこう。

ボチボチ寝ます





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