嫌悪の裏にあるもの
今日父が子育ての手伝いにきてくれたのですが来て早々
「衣食同源だから味噌汁くらい作れ」と言ってきました。
前々から母にお父さんが彩に味噌汁の作り方くらい教えたいといっている
と言われていたので直接来たかと思いつつ
「只でさえ緊張状態の中、息子に当たらない努力をしてるのに
調理まで入れたらウツになる」と返しました。
そして怒りが頂点に来ていた私はそれにプラスして
「私が小学生の時に父さんがお前も女なんだからご飯くらい作れ
と言われたのが屈辱的で、そんな風に性別で可能性を制限されるなら
絶対作んないって決めたんだ」と言い返しました。
父はそんな記憶は無いといい、まあそうだよねと更にアタシは言いで
そこからは父が帰る手前までほぼマトモに口をきかず過ごしました。
私はずっとその始まりだった父の言葉を本人にぶつける事が出来
少し何かが楽になりました。
アタシが育った食事とは食べるときは沈黙、
作った料理にオイシイの一言も感謝も無いという女たちのため息
そして、手伝おうとすると「邪魔になるからアナタは勉強していなさい」
と言われるとか憂鬱な時間でした。
しかし、ここにきてアタシは夫が料理人になり自分も近所のあちこちで
食べるようになり食べる事は好きになったんです、料理人が作ったものは特に。
その人が料理を自己表現として、そしてどんなこだわりを持って、
どう人を喜ばせたいのかとか、そういうのを感じながら作ったものを
味わうのはアーティストとの対話みたいで元気になります。
そして経験ゼロだった夫が料理をし始めるまでの過程は新鮮そのものでした
「今日○○さんと料理の話が出来たよ、世界が広がるね」
「その症状には○○が効くみたいだから入れた料理を作ったよ」
「ウチ母さんが食いしん坊でアレ食べたいこれ食べたいってものを
どんどん作ったから僕もそんな感じなんだよね」
夫のポジティブな料理への気持ちはアタシには黒船のようなものでした。
一方で私が料理を過去に頑張った時ってのは決まって
男に愛されたいとか気持ちを繋げ止めたい時ばかりでした。
自分の表現を諦めて家庭に入る事を望んだ相手のために頑張ってしまった
ことや、どう考えても都合のいい相手にされてた男をつなぎ止めようと
作ったりで、思い出す度に健気な馬鹿だった自分が思い出されて悔しいし
唯一楽しかったのは大学時代に激しく病んだ時に当時のカウンセラーさんが
「料理は殺戮だから」と言った時で、
その時は食材切りながら「殺せ殺せ殺せ殺せ、死ね死ね死ね死ね」と
思いつつ薄ら笑いしながら作ってました。
アタシにとって料理とは合法的で裁かれない殺害でした。
そして自信の無いアタシが愛されようと卑屈に取り組むものでした。
故にアタシは料理で身体を保つ事よりも、カロリーメイトで我慢して
映画をはしごしたり美術館に行き素晴らしい作品にふれる
心の栄養で生きる青春時代を過ごしました。
そしてより一層、そのためにご飯代を浮かす事を考え料理を愛さなくなりました。
たしかに料理が出来ない事は不便だなと感じます、外食を続ければ
メニューは偏るし胃が痛んだりします。
でもキッチンに立つと37年分の自分を制限し、媚を売り、病んだ過去を
思い出すので吐き気がするんです。
だったら作らない選択をするほうが私にとっては幸せで。
私はアートが好きですが、人によっては小学生の頃に描いた絵を
笑われたのが嫌で嫌いになるように
どうしても駄目になってしまう事があると思うんですよね。
だからそれでも作れと言われた時、万人に理解してもらえるとは
思わなかったけど、正直お前の心なんかどうでもいいんだよ
死んじまえよと言われたと私は感じてしまいました。
と、いう状況でこの前段階の文をFBにあげてしまったのはエラーだった
と反省したのですが、私は誰かに分かって欲しかった以外にも
もしかしたら私でも料理を作る事が好きになるような金言をきけるかも
という欲張りな期待をしたんだと思います。
と、したらもう少し文章を考えるべきでした。
まだ気持ちが冷静でないのかもしれません
昨日実はカップ麺を食べたあとで左手がブルブルと震えたり
今までは甘いものを食べても大丈夫だったのに
いきなりおっぱいが乳腺炎手前の乳口炎になったので
病院に行ったり、保健所に電話して助産師さんに話をきいたりしてました。
幸い今日乳口炎も落ち着きつつあり、手の震えは脳の病気ではなく
赤ん坊の抱っこ疲労といわれ安心しました。
その2日前くらいに夫の病気はアタシのせいだと深く自分を責めて
結果、人に話す気力もなく泣きながら抱え込んだのと、
今日は息子と一緒に寝て心を休めたいなという気持ちを無視して
家事に勤しんだのでそういうことが一気に出たんだと思います。
乳口炎も震えもストレスでも出るらしいので。
今日も夫が一時帰宅して料理をつくりました
入院中はやる事無くて暇だから気分転換になるといいながら
「ほら、タマネギいっぱいサラダをつくったよ、血液サラサラに
なるからね」
と乳口炎対策メニューを作ってくれました。
夫は人を思っても料理が作れる、すごいなあ。
思い詰める性格はなおらないので今回もダメージしましたが
でも回復しはじめ、そのままでいいと夫が助けてくれ
また生かしてもらえました。
そして、その優しさを見失わずにいることができました。
私も今回の件で、料理が自分を生かすものではなく
自分らしく生きたい気持ちを阻害するものと感じているから
好きになれないのだとはっきりしたので何か変わるかもしれません。
変わるといいなあ。
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