ほどよい距離
今日も一時帰宅した夫が、三ヶ月検診帰りの私を待っていました。
ひととおり調理して息子の腹這い訓練を手伝ってまた病院へ。
教育入院の期間というのは本人だけでなく家族も
心の準備をする期間なんだと思います。
普通に彼がいたときはなんであんなに喧嘩したんだろ?
と思ったんですが、いわゆる「検査以外は暇」というその
暇している部分をほとんど見てないせいだろうと思います。
ウチにいるときは彼がごろんと転がってゲームしてると
「なんでアタシばっかりこんなに忙しいのよ!」
とどうしても思ってしまうので。
そして夫とはなれて過ごすうち、今まで気付かなかった夫の
ことがわかりました。
私はより多く愛されたくて努力するのですが
夫は自分の傍にいてくれる人と自分のために生きる努力を
する人なんですよね
だから夫の接客を見ていて
「ここでお客さんがAしたらBしないと気に入ってもらえないじゃん」
というポイントを良く逃すのはおそらく彼が必要以上の
愛情を欲していないのもあり
ドラムプレイでも彼はよく走り過ぎだといって怒られてたんですが
なかなかそれが直らなかったのも、彼は自分をいかすために
ドラムを叩いていたからかもしれないと思ったのです
考えてみたら周りと合わせるとか聞きやすくするための
努力って、お客さんに愛してもらうためだったりもすると思うんですよ
自分が叩いて元気になるためなら別にどんなリズムだって
いいじゃねえかとアタシは思うのです。
でも彼がそれでも嫌われない理由はなにかというと
彼の自分の事は自分で、という態度だと思うんですよね。
昔の映画(私が棄てた女だったかな)じゃないですが
「皆誰かにぶらさがりたい」生き物だと思うんですよね
だから精神的に自給自足する人に自然に寄っていく
そういうことかなと思うんです。
そしてそういう姿ってのは自己犠牲をはらって助けにきて
くれる人よりも周りを元気するもんだなと思います。
もう駄目だと思っていたけどまだ、自分なりのバランスのとりかたが
あるのかもしれないと思えたらそれは素晴らしい訳で。
だから私は夫とスタジオに入った時に
私に合わせてよと思っていたのはかなり方向的に間違いで
私が合わせるか、最初から個性をぶつけ合えればよかったのかな
と思いました。
しかし、自分が空虚だと思うほど先に先に更に何かを
求めてしまうのは何故でしょうか。
誰かと打ち解けて話しだすと、同じ会場にもっと話が合う人が
いるかもしれないと思ってしまい結局深い友情が築けないような
そんな損を意味も分からずに繰り返している
最近自分の人生がその繰り返しな気がしてなりません。
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