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2015年11月28日 (土)

崇拝。

崇拝。
wowowの無料放送にて
ジョン・ライドンのインタビューを含めた特集をやるとわかり
今日は手伝いにきてくれた父に息子を観てもらい
テレビの前にメモとペンを置き、椅子の上に正座して観た
彼からはきっと金言が聞けると思ったのだ

でもメモをとっていると更に次の言葉を聞けずに終わってしまうので
途中で諦めて胸に焼き付ける事にした

彼は「困難は人生を豊かにしてくれる」というようなことと
「忍耐できればあらゆる経験から学ぶ事が出来る」
というようなことを言った

考えてみればアタシはせっかちだ
そうしてすぐに答えを求めようとするから
すぐに悲観的になるのかもしれん

また今日もジョンに学んだ

彼は今のバンドメンバーと仲良く音楽が出来ることを喜んでいた
話の中ではそれが何より嬉しかった。

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2015年11月27日 (金)

めげないあの子とちいさなひとと


大きめだったから果物ナイフをつかって一切れ切り出して
そのしょっぱいと言われながらもラムの香りが漂うレーズンを噛み締め
「おっとそうだった、これ以上は授乳に障るからいけないな」
と思い味わってから母に譲りました。

ウチの夫がつくった手作りのレーズンバター、
でもアタシも彼ももう食べられないのです。

アタシは乳腺が詰まるので
そして夫は糖尿病になったから

ここ数日アタシは平均より五か月も早く再開してしまった生理に
苦しんでました。
再開する事自体は子宮が元気ということで喜ばしいらしいのですが
子供を育てる授乳のホルモンと新しく命を授かろうとするホルモン
の働きは全く間逆なため、体調も気持ちも中途半端。
でもそれも落ち着くかなという頃、夫がちょっと前に受けた血液検査
の結果を聞きにいったのです。

夫曰く「結果が悪かったらくる前に電話で知らせるって」だったし
一週間電話来なかったんで不安はあれど大丈夫だと思ってたんです
ただ不安だったのは彼が7月以降ここまででもう9キロも痩せた事と
夜中に2パックはジュースを飲んでしまう事でした。
ネットで調べた糖尿病の初期症状そのものでしたから。

最初に夫は電話してきて
「病気でした、糖尿病です」と言って寂しそうに笑いました。

育児と自分と、そして糖尿病。シュミレーションして覚悟してたのに
心の天秤がバキッと折れそうに感じました。
それから、つとめて夫を励ます準備をしました。
なったものは仕方ない、これからを考えようと。

夫はその夜、糖尿病のレシピ本を買い、あてもない初めての
散歩に出かけました。

アタシにはじわじわと実感がわいてきました
「もう二人で膝を並べてラーメンを食べる事もできない」
「息子がもうちょっと大きくなったら一緒に美味しいハンバーガーを
食べる夢も叶わない」
「大好きなおまんじゅうを食べる事もできない」
「一緒にワインの試飲をしてワイワイすることも出来ないんだ」
クリスマスも、息子の一歳の誕生日にケーキを食べる事も出来ない
息子が育ち盛りの時に一緒に療法食を食べさせて大丈夫なのか・・?

そういう現実や不安ががあらわれてささやかな夢が壊れる度に
アタシは息が出来なくなりました
その晩、夫が息子の小さい手を取ってくっついて寝ているのをみて
泣きました。

でもって、こんな目にあったのは、夫が料理に目覚めて嬉しくて
あちこちの飲食店に連れ回したからだ
夫が脳出血で煙草が吸えなくなった時に食べる事が唯一の楽しみ
というのを静止して他のものに目を向けさせなかったからだ
そして予備軍で発見されるチャンスの時期は悪阻で潰してしまった
イベントだなんだと彼の人生を巻き込んだ私のせいだ
私と結婚さえしなければ、彼はこんなにも病を発症する事はなかった

本当は他にも原因はあったのかもしれないけれど
何かが一番の原因だと特定しなければやっていけない気がして
でも自分を責めてもただ袋小路感が増すだけで
でもやっぱり誰かを掴んでこの頭一杯に沸き出す言葉を
処理する事もできなくて
抱えろよ!今までだって抱えてきただろ?出来なくないだろ?
と自分に言い聞かせました。

ただ夫は黙々と、キッチンで出汁をとったりネットで情報を
集めはじめているものの、私は身内に糖尿の人がいないばかりか
ネットで検索するとネガティブなことしか探し当てないしで
考えた結果、夫に許可を取ってFBで身近に糖尿病の人が
いたことのある人や栄養に関して知識がある人に協力を求めました。

するとじわじわとコメント欄が埋まり、生きた情報が手に入りはじめました。
私から言い出せなくてもそっとメッセージがきて、そのやり取りが
すこしずつ糖尿とのつき合い方を教えてくれ、すこし希望がみえてきました。

ちょっと気を抜けば、将来を悲観して自分を責めつづける言葉の
竜巻に飲まれ、背後にあいた穴に落ちそうな怖さはあるけれど
そういうときは根拠は無いけど息子の小さな手を握り
「アタシたちはもっとしあわせになる」
ということにしています

泣いてるのに目の前で大量のウンチをされると片付けてしまうもので
ああ、赤ん坊ってすげえなとつくづく思ったこの数日でした。

めげてるんだろうけど、あきらめない夫と
その間にいるちいさなひと
アタシに出来る事は夫が幸せとよぶこのちいさな息子を
元気に育てる、それだけなのかもしれません。

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2015年11月24日 (火)

おじいちゃん

おじいちゃん
その一報は弟からの電話でもたらされた。
「じいちゃんが死んだって」
いつかくるとは思っていたが、実際きてしまうと震えが出た。

その1時間前に母から赤ちゃんとペットという企画をテレビでやるよ
と牧歌的な電話をうけたばかりで何だこの落差。

聞くと母が帰宅すると家に祖父がおらず、風呂場が真っ暗なのに
スリッパが風呂場にあったとかで確認したら祖父が湯船で
息絶えていたのだという

実家に向かう電車の中、ずっとアタシは祖父が苦しんだのではないか
と胸を痛めていた。苦しかったのではないか、助けを呼べず
寂しかったのではないか、そう思うととにかく切なくて悲しかった。

しかしその日は祖父に会えなかった、祖父は警察署で検死に回され
自宅には若い刑事が数人で深夜まで検分と聴取にきた
私は終電まで立ち会った。

刑事はやたらと風呂場にあった祖父のパンツにこだわり
昇天の地となった風呂場でいい大人たちが真面目な顔で
パンツパンツと言っているのはシュールだった。

聴取は祖父の人生を振り返る事からはじまった。
本人がいない場所で全てが過去形で語られだした時
ああ、祖父はいないんだとじわじわと感じだした

祖父はその月の初めにこけて顔に内出血があったので
両親が虐待を疑われたのではないかとこわばったが、
自宅で亡くなるとこれくらいの検視がつくものらしい。
翌日には死因が心不全で事件性がないと確認され安心した。

身体が湯につかっていたのと解剖とで亡骸が長く持たない
とかで葬儀は間をあけずにおこなわれた。
最初に身体を洗う儀式があるのだが、この儀式のあいだ
いつも葬儀屋という商売を尊く思う。
祖父は丁寧に身体を洗われ、まるで生きているようだった。

アタシは顔の内出血をみつめていた
きっとショックをうけるのでおさまるまでは会わないほうがいい
と母が心身の弱った私に気を遣ったので丸一ヶ月以上会わなかった
でも、これがなかったらもっと直近で会っていたかもしれない

傷を隠した結果、祖父は20代のような容貌になってしまい
なんか写真をみないとリアリティを感じられなかった

式は祖父が百歳近くまで長生きしたため、関係者と連絡をとるのが
難しく、ほぼ親族だけのささやかなものになったが
嫁ぎ先の両親や幼なじみもきてくれて小さいながらもぬくもりがあった

納棺と焼き場で二度号泣した。
祖父の骨は丈夫過ぎて骨壺が一杯になり
塵にならずにおさまってしまったので集骨台を指でなぞっても
何もとれなかった。

膝の骨をみたとき、一ヶ月前に手を握りながら
びっちり隣にくっついて話しかけ膝をつき合わせたのを思い出した
あの丸い膝が骨になったのが寂しくてまた泣いた

旅館にいっても、どこに行っても
「祖父です、90歳過ぎてます」といえば
「へーすごいお元気で」なんて言われていた祖父は
骨になっても
「これアゴの骨です、まだ歯が残っています」
といわれて最後まで「へー」と言われていた

亡くなる月、祖父は迷子になったりで三度ばかり
警察や消防のお世話になった。
どうしてもじっとしていられなくて外に出てしまうのだが
これはもう両親でみるには限界だろうと思い
友人のアドバイスで地域包括センターに電話で相談した
親にはためらいがあったが、これから時間をかけて何度も
説得しようとした矢先だった

過去に耳がだいぶ遠くなったので補聴器を買おうとしても
本人が拒んでしまったりしたので
私たちには介護サービスを使う事にためらいがあった
高齢となった祖父の尊厳をどうしたら守れるのか最後までわからなかった

私は最後まで自分を案じてくれた祖父を
一番の幸せに出来なかった気がする
どうしてももっと何か出来たんじゃないかと思ってしまう

でも誰かを幸せに出来ているなんてことに自信なんて持てるのだろうか
アタシの隣で眠りやすらかな顔で指を握ってくる息子にさえ
せめてアタシが全責任を負わねばならぬ今だけでも幸せであってくれ
と、そう願う事しか出来ない。

だからこそ自分で自分を幸せに出来なければならないのだ

祖父は最愛の祖母のいない世界を15年生きた
そしてひ孫に会ってくれた
そのことにありがとう、といいたい。

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2015年11月23日 (月)

本当に大丈夫これ?

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産まれたときからずっと後頭部が平らで絶壁状態なんですが
これ本当になおるんでしょうか?

夫のネット検索によるとなおるらしいんですが。
なんでもずっと横になっているのが原因だとかで・・・

そんな息子も今日で生後三ヶ月を迎えました。
生後三ヶ月になったら腹這いの練習や外気浴をさせるタイミングとのこと
彼はうんうん言いながら頑張っていますがどうもまだ手の置き方とかが
よくわかっていないようです。

なんつーか夫が一言「ロッド・レイスみたいだな・・・(cf:進撃の巨人)」

親が励ますとより頑張るというのでアホみたいに励ましています。
ここにきて息子はアタシの顔をみると意味も無く大喜びなので
グッと来ます。
息子だけのビートルズになった気分です。

プロフの写真もちょっと変えてみました、
育児やつれを表現したつもりの写真ですが
なんかガン垂れてるな・・・すいません



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2015年11月20日 (金)

幸せ論2015

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赤ん坊と暮らし始めてもうすぐ3ヶ月
その日々の中で幸せは点ではなく
面の話なんだと思うようになった。

ずっと合格を目指すように
今しんどくてもある一点を越えれば
「楽園」につけるのだと考えていた

しかし、実際は時折襲ってくる
辛い事を乗り越えるために
普段を幸せに保つ必要があるのだ

さりとて、これがなかなか難しい。

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2015年11月13日 (金)

ウツともぼちぼち

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週はじめ、夫が歯医者の帰りに「いつもありがとう」といって
むき出しの花をくれました。拾ったって言ってました。
「なんかねえ、帰り道におちてて勿体なくってねえ」と話す夫に
うなずきながら「惜しい、うん、実に惜しいな」と思ったアタシ。

でもそんな夫は昨日の夜中、猫絡みで顔を怪我しました。
祖父の死と息子の発熱あたりから戻りが悪くなったアタシの心は
悲鳴をあげて崩れかかったものの、
幸い夫は夜間救急でみてもらえて大事に至らずに済みました。
いつからかはじまったヒマワリという救急相談サービスは便利です。

そんなわけで実家の親と猫を預ける預けないで話しているうちに
気分がさらに追い込まれたまま、このタイミングでメガネ先生に
会ってきました。大体こういう朦朧とした時に財布とか忘れるんですよね
いく途中で引き返して交通費がかなり無駄。

「ここにきてアレなんです、死にたいとか消えたいとか、息子は
自分の両親のほうが幸せに出来るんじゃとかぐるぐる考えて
とまんないんです、乳腺炎になりかけてるんですが、それも
ストレスからくると聞いて、ますますおいつめられるっつーか」

先生は淡々と「そうですか」といいながら内容を記録しています
悩みを無関係な第三者に聞いてもらうほうが楽な時ある、といっていた
かつての知り合いを思い出し、なんとなく、仕事にしている人に
相談すると楽なのは、反応が淡白で予測しやすいからかもしれない
と思いました。一方でだからこそ、期待と違う反応がくると
クレームに発展したりもするんですが。
それだけこっちにも余裕が無いってことでもありますね。

彼は「うん、でも短期間でこれだけインパクトあることがあったら
おかしくもなりますね」といい、すぐ誰か話を聞いてくれる人を頼ること、
乳腺の事もあるんで保健所などがいいんでないか?それと
負担を減らす事、仕事復帰もまだ先送りにしたほうがいいといい
でも一方で「つぎにくる時にはきっと状況も落ち着くでしょう」と
柔和に笑いました。このプレッシャーをかけないやわらかな信頼は
アタシには出せない芸当で(って言い方失礼だな)これをされると
なぜか「うん、きっと次はよくできるはず」と思えたりします。

それと、アタシが繊細すぎるせいでおかしいんじゃなくて
色々重なったら普通こうなるって言われるのも安心感があります。
どういう訳か、アタシはいろんな事が一気にぶつかってきて
サンドバック式に駄目になる傾向がある事が分かってきていて
だから別に誰にも話したくない訳ではなくて
「なんかヤバいかも」の次が「もう駄目、話す気力ない」
になるから抱えこんじまうんだな、と思う訳です。
「ちょっと大丈夫?」と誰かにフックをかけてもらえると
あがりやすいですがなかなかそれも人にするのは勇気がいる事なので
何かいい方法はないか考えています。

帰宅後、動物病院に行き猫の爪を切ってもらったんですが
ついでに猫の不仲について相談もしたんですね。
したら帰りにスタッフさんに
「松崎さん、こんなカワイイ猫手放しちゃ駄目ですよ
一緒に考えましょう、三人よればなんとやらですよ、
松崎さんきっと考え過ぎちゃうから話す事が必要」
といわれ「うん、落ち着こう」と思いました。

心配して電話してきた母にこのことを話したら
「あなたのことをなんとなく分かってくれる人もいるのね」
といわれました。

互いの立場を緩めたり越境しなくても、ゆるくゆっくり
相手と分かり合う事が出来る、そんなのが最近はいいかなと
思います。

かよわい息子を持って思うんですがやっぱり愛とは
相手の急所を討たない事だと思う。
そしてアタシはいつか仕事に戻れた時にそこをしっかり
つかんでいたいとおもう。

とりあえず自分をまた立て直そうと思うのでさらに
ゆるい更新でブログをやろうと思います。

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2015年11月11日 (水)

映画ヘルタースケルターをみる

映画ヘルタースケルター
スマホという文明の利器を手にしまして、
授乳中にアレコレ試しています。
そのアレコレの中に映画を観るというのがありまして、
そこで映画っつったら大きめの画面で感動が消えないうちに
一気に観る、というのを諦め
ぶつ切りに見てもまあまあそれなりの感想が持てるものだと学びました。

なんというか小さい画面での映画鑑賞は感覚的には
観る、ではなく見るに近いですが、それでも見ないよりかはいいかも。

さて、蜷川実花監督の映画、ヘルタースケルターですが・・・
感想的には「蜷川さん、舞台やったらいいのになあ」でした。
お父さんと被る事はしたくないかもですが、
この映画、映画的にはアリなんだけど
繰り返し観たくなる好きな手法ではないんだよなあ。

私は蜷川実花さんの写真集持ってるし、好きなんですよ。
なんというか彼女の写真を好きになったのは二十代でしたが
たまには少女気分に浸りたくなったアラフォーの今でも
安心してどっぷりできる色合いなんです。

これが淡いピンクや水色だと、ちょっと躊躇しちゃう、
でも彼女のつくったプロダクツなら安心して「センスがいい」という
範疇で人前でも楽しめるんです。

ただ、この映画に対しては
「ヘルタースケルターというお題で作った蜷川実花写真集」
という印象以上のものを持てなかったんですよね。

私は原作の岡崎京子さんのヘルタースケルターが大好きです。
この映画を踏まえて岡崎さんのヘルタースケルターの魅力に
ついて考えたんですけど、私は結構あの話、言葉の力も
大きかったよなと思ったんです。

それと「幸せ」になるために突っ走り続けるりりこに対して
自分の身代わりのいれもののように扱う社長
ショービズ界を闘う同士のようなキンちゃん
りりこに翻弄されながらも次第にむき出しになっていく
彼女の人間っぽい弱さに寄り添っていく羽田ちゃんと彼氏
そして敵対のような立場ながら互いに共感をよせる検事etc
そういった彼らとのやりとりがりりこの心理を表現もしてた

私は岡崎京子さんの描く女の子の堕ち方には
ある種の「みそぎ」を感じるんですよね

ある話では人間の弱さだったり
ある話では純粋さだったり
アタシはこの話からは感動するほど「這い上がる強さ」
を感じたんですけど
たぶん岡崎さんが描く「堕ちていく」ことってのは
人間讃歌だとおもうんです。

ヘルタースケルターの場合は、最後の最後の場面で
BGMとして流れている曲がヘルタースケルターであり
それによってはじめて、その彼女の疾走感とはまさにこの曲
だったんだ、と思う事で強くお話が印象づけられるわけです。

だから話の中盤で登場人物が
「彼女の生き方は正にヘルタースケルター」
とかいっちゃった時には「おい!この野郎!」と思ったし

原作での後半、羽田ちゃんの彼氏がりりこに
「俺がいないとりりこ一人になっちゃう」というのに
「うるせー」と暴言気味に返すから彼女の不器用さや
孤独が際立つのに

最初からりりこが「あたしひとりになっちゃう」
みたいなことを自分でいったら深みも立ち消えなわけですよ。
キンちゃん、なんだかあれじゃただのオネエだし。

原作を知っていたアタシは
「蜷川さんが岡崎さんのヘルタースケルターの世界を
実写で再現してくれる」
と思って映画を観てしまったけど、正しくは
「蜷川さんがヘルタースケルターをお題にした新作映像を
みよう」
と思わなきゃ駄目だったんですよね。

とにかく、絵を撮って印象づけるという足し算の作品すぎて
繊細な心理描写が台無しになっちゃってる印象です。
でも、これは映像のジャンルとしてはアリだと思います。
鈴木清順監督のピストルオペラを観たときを思い出しました。
あれは江角マキコ、綺麗だったなあ・・・話の印象は殆どないけど。

ヘルタースケルターは寺山修司の映画の方向で
処理して欲しかったなあ、せめて。

でも、蜷川監督が絶賛していた役者の熱演は
彼女の自己満で感じただけだったかっていうとそうではなくて
ちゃんとあったんだと思います
ただそれは、現場の中で。
彼女の作った舞台装置で役者はたぶん最高の熱演をしたんだけど
ただ真っ平らのスクリーンでそれを切り取るには
もうちょっと引き算や別な手法が必要だったと思います。

そんなわけで、私はこの作品、舞台で観たいな、と思ったんですよね。
一方で他の監督で新たに撮ったヘルタースケルターをみてみたい。

なんだか、息子が何度も泣いて、ぶつ切りな感想文に・・・
うーん、幼子をもちつつブログ書くのは難しいなあ・・・

でもエンディングソングのおかげで
THE MAD CAPSULE MARKETSが活動停止してメンバーさんが
AA=という名前で活動しているというのを今更知れたのは収穫でした◎

 

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2015年11月 8日 (日)

秋土用を終えて

秋土用を終えて
生後二ヶ月半を過ぎた息子です。
拳に己の存在の価値を問う事が増えてきました。
妊娠中に蒼天の拳を読みまくった影響でしょうか・・・

秋土用を終えて
「我が生涯に一片の悔い無し!!」

まだうまれたばっかだっつーの!!

という冗談はさておき(しかも二枚目の台詞は蒼天の拳ですらない)
これは生後二ヶ月の赤ちゃんにみられるハンドリーガードという行為で
自分の手をみながら
「あれ?これなに?俺の手?動かせるの?」
という自我の芽生えを表す感動的な行為だそうです。
そして同年代であろう親たちがこぞってこれの台詞をつけたり
ラオウポーズと呼んでいるらしいです。

さて、皆さま、秋土用いかがお過ごしでしたでしょうか?
私は秋土用の前半は比較的いつもな感じだったのですが
土用予報を最後まで書き上げた2日後ぐらいに
このブログで何度も近藤家CEOとして登場していた祖父が
亡くなりまして、お通夜がハロウィン、そのお通夜に大河を
はじめての電車外出で連れ出しましたところ、未明に38.7℃
の高熱をだしまして救急外来直行、そしてそのまま一睡もせず
告別式に出てお骨拾いという流れでした。

アタシ28日に土用予報のカレンダーに
「俺は馬鹿だ」とか自分を責めるようなことあり
という意味でこういう台詞をいくつか書いてるんですけど
この日の夜にやっぱりこういう台詞で
何か出来たんじゃねーかと自分を責めながら電車乗ったときは
嫌なハマり方したなあ・・・とつくづく思いました。
確かに祖父のいない初めての冬とそれ以降のはじまりと
なったわけですが、切ない。

そして土用の影響が薄れた最後の頃に息子の初めての
予防接種でほぼ〆でした。

自分の心境の変化もいろいろあったんですがその一つが

「もしかしたらアタシは親しくなりたいというなら察してくれ
と周りに思ってきたけれど、頼ってくれたらいつでも助けたいのに
という目で見てくれてる人もいるのかもしれないな」

と考えるようになったことでした。

特に何かきっかけがあったわけじゃなく
時間が出来て冷静になってちょっと視野が開けたのかもしれません
なので「まあ、本当にうざく感じるようになったら疎遠になるだろうし
うざいのに離れないとしたら自己責任だろう」
と思ってちょろっと人に困りごとを相談するようになってきました。

その他についてはまたおいおい。
とりあえず今回もお疲れさまでした、という記事でした。

FBで今日は眠かった、寝ていたという記事が散見されました。
なにか疲れを感じた方は土用の疲れをじっくり癒してくださいね。


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