世界の見え方が変わった日
夜、いただいた香川の高級うどんを実食。
昨晩母が作りにきてくれたものの、最後にぶっかけは水でしめねば
ならないというところを伝え忘れたので今日自分でやってみたのでした。
「うむ、アソコとうどんはシメルに限るな、気合い入れてやらなきゃ
意味が無いとこまでそっくりだ」
とかすごくくだらない事を呟いてずるずるとうどんを流し込みつつ
これまでの日々のことを考えました。
切迫早産になっている、と言われてすぐ
アタシにはターニングポイントみたいな出来事がありました。
それは夢今を再開するか否か・・・で悩んでいた約一ヶ月前
「俺はやって欲しくないが、君は言っても止めないからね」
と言っていた夫がある場所に行ってから突然発言を変えました
「夢今も仕事もやっちゃ駄目だ」
そこは志奈そば田なかさんでした。
夫は安静にするからとアタシが外に出なかったため
一人で食べにいったのです。
その時間帯は丁度お客さんがきれていて
夫はそこでマスターと従業員さんとアタシの切迫の話になったのです。
夫はそこで出産経験のある従業員さんに一月のライブの話等も
したらしく、「なんでやらせたの!絶対駄目だよ!!」
と強く言われたと言っていました。
アタシは営業時間に相談にのって戴いたお礼を
マスターにメールで伝えたのですが
マスターからのお返事には時間を割いてこんなことが書いてありました
1月のライブからすごく心配していたこと
マスターの身内に切迫早産になった人がいて
その悔しそうな顔をみているのが本当に辛かった事
やる場合の代替え案、そして
今が耐え時ではないのか、出産後にあらためてやってもいいのでは
ないかという切々とした思い
「今が踏ん張りどころではないですか」
という言葉に心を動かされ、アタシは結局夢今と仕事再開を断念し
夫はアタシの気が変わらぬうちにと開催場所の海さんのお店に
お詫びを伝えに出かけました
でも、決断したのはマスターの言葉だけではなく
一月のライブが自分に何をもたらしたかその結果を自分が一番
よくわかっていたからでした。
単にアタシは自分の感情を素直に認める事が出来なくて
言葉にきっかけを求めたのです。
結局、一月に強行したライブ出演はアタシの身体に
今につながるダメージの引き金を引きました。
あの時アタシはインフルエンザと、子供の心拍が聞こえないこと
それを染色体異常と言われたことで精神的にかなり参っていました
参っていたから何か吐き出せるものにすがりたかった
医者からもやれるならやれば以上の事を聞けず
アタシは無理して出れば子供の心拍が動くという勝手な信仰を
うちたてました
でもその後今度は風邪を引いたりして更に体力は奪われ
ギターを持って10分も弾けば座り込む始末でした
前日の夜、本当は半分以上棄権の方向に気持ちは偏っていました
でも、アタシにはやめる勇気が持てませんでした
イベンターにかける迷惑
行くよといってくれているお客さんへの迷惑
バンドスタイルにした事によって時間を使って巻き込んでしまった
サポートの3人の努力を無駄にしてしまう事への贖罪
その責任と、自分の身体にかかる負担とその後の
どっちが大事か
無理すれば何が起きてしまうのか
アタシには当時初めての経験すぎて
さっぱり判断が出来ませんでした。
迷いからアタシはネットへの書き込みを増やし
結果、そこに書き込まれた心ない一言に憤怒するという
形で無理をする方向に傾きました
そして今どうなったか・・・・
アタシはあの日のビデオも音源もみることもきくことも出来ません
ギターもあの日以来触っていません
子供を起こしたのなら誇らしい記録のはずなのに
思い出したくないのです
身体と心が拒否をしてしまう、
もうあんな自分を裏切ったしんどさを思い出したくない
という心の声がしてしまう
それは水族館の結婚式のアルバムと似てました
こんなこと、書くべきじゃないんだけど
アタシはあの結婚式もあまり振り返れないんです
何故なら、準備が本当に辛くて・・・・
あの時もウエディングプランナーがいない会場で
自分で手配して色々やって、途中の夢今とかを中断する
決断が出来なくて全部を引きずったままやってしまった
皆に祝福されて幸せだった、よりも
皆さんが楽しい式だったと言ってくださってよかった
というそっちばかりを思い出してしまう
原因は優先順位をつけることが怖れから出来なかった
ことと人を頼れない自分の未熟さです。
アタシは周りがうまくいくなら真っ先に自分の感情を
殺す決断をすることに躊躇が無くなっていました。
正確には自分の身体と心を良好に保つことがいい結果を
うむと信じなかったので、いつも真っ先に犠牲にする
癖がついていました
そして、アタシは周りに間違ったメッセージを送りました
そうやって無理を押し通してやり通してしまう
ことがこのヴィヴィアンであり松崎ミトラという人なのだと
そして1月のライブをやったことは結果的に
シンドイといってもライブやれちゃう程度には元気
という印象を周りに与えたと思います
自分があの時本当にしたことは
気力を振り絞って自分の身体と心を簡単に回復出来ないまで
弱らせ同時に音楽を嫌いにさせただけ。
でもしかはかっこ悪いけど、ふと考えます
あの時今のN先生が既にアタシの主治医だったらどうなってただろうと
「どうなるかわからないけど、リスクが高いものは
普通はやらないのよ」
という彼女はなんて言っただろう
何か納得いく説明をしてくれたかもしれない
無理すればいいんだろう?無理すれば
そういって確定申告の書類も作り上げ眠れなくなって
フラフラだったアタシにいった彼女の言葉
「松崎さん、もう無理はやめよう」
「病院変えたら助産院に申し訳がたたない?
いいよ、アタシが変わりに言ってあげるから」
止まる事ができないアタシを説得し
最初に本気でとめてくれた先生
そしてメガネ先生に繋がり
自分で自分をとめられないアタシは彼らに自分をゆだね
今に至りそして
田なかさんに止められた時、自分はこう思ったのでした
とまれないアタシに「無理をするな」といってくれる人が
多い世界にアタシは住みはじめたんだ・・・と
確かに今でも「夢今がなくなってがっかりした」
というメールをもらって心が揺らぐことはあるんです
でもこれまでは
「大変だろうけど、やってほしい」という声の合間に
かすかに届いた「無理をしないで」が
良く届く世界に住んでいる
そう言う人の声がして、毎週病院で「自分とお腹の子を最優先に」
とか「妊婦は甘えてもいいのよ」と言葉にして言われるようになり
そこに夫が付き添ってやっと
アタシは世界に安心しはじめています
それでも、ランナーの隣で伴走するコーチみたく
「大丈夫だ、そっちでいいんだ」と言われたいなあと思いつつも
不安で胃酸をだしながらする
自分の心と身体を大事にする練習は最近ちょっとずつ効果を出していて
今までは疲れるからという理由で言いなりになっていたことに
「本当はこうして欲しい」という交渉ができたり
自分が元気でいる事は周りに自分の人生を安心して歩いて
貰える事に繋がるんだと思ったりという前向きな変化をうみ
「アタシは出来ないんだから家事くらい手伝ってよ」
と当たってばかりだった夫に
「今日は疲れているみたいだからこれくらいはやってあげよう」
と手伝う思いやりをうんだりしています
ちょっと病んでいるアタシじゃないと寄り添えない人がいる
というアレな思いは
そうじゃなくなっても役に立てると信じる事に変わってきています
だからこそアタシはこれから妊娠する人で体調が悪いのに
自分の意思だけでは止まる事が出来ない人を
自分の経験を話して反感をかっても全力で止めようと思います
妊婦は、無理をしてはいけない
責任を感じるのは二の次だ
あなたを責める人がいるならそれはもう離れていい人なんだと
あのライブに出た事は教訓でした、
だから生かして生きていくしかありません。
一昨日、これまでのことを思い出して眠れなくていた時にふと
「これからは頑張らなくていいんだね」と呟いた自分がいました
「自分の気持ちが楽である事を優先していいんだ」
そうしたらふと胃酸がおさまって眠りに落ちはじめた自分がいました
お腹で息子が大きく一回
ぐるん
と動きました
手のひらで感じたそれは大変に安らかな気分そのものでした。
★今日のお譲り★
夢今第40夜で主催賞と観客賞でプレゼントする予定だった
パンダトートバッグとパンダ耳かきです
実はFB上でそれぞれ別個に欲しいという方は既に出ているのですが
夢今を愛してくださった方で、この両方が欲しい!と言う方がいたら
主催としてその方にお譲りしたいと思います。
ちなみにパンダトートは・・・
後ろはお尻プリントです。
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