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2015年5月21日 (木)

駿馬のごとく

駿馬のごとく
明け方に雷鳴轟き、そのかなりの近さに驚きました。
きっと隣室の猫が怖がっているだろうと思い扉をあけると
二匹が飛び込んできました。
一番に不安そうに鳴いていたケージのスッちゃんも
出そうとしましたが先にマサカドが待っていたので入れず

地響きのように揺れる部屋の中、ああ、こうやって家族でまとまるって
なんか本当に家族っぽいな、来年からはこんな感じかね
なんて思いました。

とはいえその前から眠れずにいたので寝不足で
やっとこ朝食を食べたらまたあばら骨の下と腹部に差し込むような
激しい痛みをうけました。

今日は精神科のドクターの診察があったので産婦人科のほうに
連絡をしたのですが、胎動があるなら経過観察となったので
そのまま通院。
帰りは流石にタクシーを使ったにもかかわらず
結局夕方再び二時間に渡りズキズキと腹が痛み続け
お腹がぐっとまるまったまま固くなり
息子がしばらく動かなくなりました

下半身もうっすら汗をかいたので
それでもう一回病院に電話をしました。
経過を話したのですが
「で、それで見て欲しいんですか?ご自身で決めて欲しいのですが」
と言われた時にはちょっと涙目になりました。
初産で経過観察でいいのか
わからないから電話したのに・・・

結局、わからないと伝えたら行く事になり
同じ病院にタクシー2往復になりました。

「ふむ、この週数にしては産道が短いね」
見てくれたのはちょっと大黒様風な丸みがある
キビキビした若い女医さんでした。

診断結果はN先生と変わりませんでしたが
車椅子で運搬され、お腹に機械をつけて
息子の心拍と元気かどうかを確認しました。

息子が胎動したらボタンを押すのですが
取り付けた機械でわからないのか緊張しているのか
はてまた元気がないのか
その肝心の胎動がわかりません
アタシが分からないばっかりに息子は胎動なしで
取り上げられてしまうんでないかとさらに涙目

何も食べずに夕飯前に出てきたのと
混乱で胃液があがってきました

でもそんな中、連れてこられた陣痛室内にはずっと
謎の音が響いていました
パカラッ パカラッ パカラッ パカラッ パカラッ ・・・

馬?

その早くて跳ねた音は馬の蹄の音に似ていました
しかしそれは赤ん坊である息子の心音でした

パカラッ パカラッ パカラッ パカラッ パカラッ ドクバク・・・

時々の鈍い音は息子の動いた音でありまして
結局アタシがわからなくても息子は元気であるという
診断がくだされ
アタシは入院せずに安静にという内容で自宅に帰されました。

「かかりつけの先生がそのうちお腹のハリの頻度で
入院の判断をして紹介状を書いてくれるでしょう」

という女医さんの最後の言葉は、
最終的に入院は免れないのかなという思いを抱かせました。

そして来月ドライブで行く予定だった、親子三世代の最後の
温泉旅行も車の振動が陣痛を早めるのでやめときましょうという診断が。
帰りのタクシーは運転手さんが快調に飛ばしてくれたのですが
やっぱ具合が悪くなり、これは駄目だなと確信し
父にそれを伝えた所、寂しげな声がしました、なんか悲しかったです。

仕事が無期停止になり、夢今も尻切れとんぼで終了になり
楽になるはずが心にはぽっかりと穴が空き、
無気力状態になりました。
メールの返事もネットの返事も億劫で再びパジャマで日を過ごし
「簡単な家事」のレベルがわからず
腹が痛むたびにこれもやり過ぎなのか?と怯える感じで。

でもそんな中、家を片付けるだけでなく、事務所の閉鎖もやらねばならず
安静にしたいけど安静にしていたら間に合わないし
動きたいけど身体が動かないしという焦燥で不眠は悪化し
そこに切迫早期のお腹の痛みが重なり

そんな中、たまたまFBで繋がっている人がイイネしていた記事が
胎内記憶にまつわるもので
ストレスを抱えた母親の中にいたコドモは
「早く出たかった怖かった」と訴えるという記述に
だから切迫なんじゃねーかとさらに自分を追い込んだりして

週数が進めば進むほど、結果的に更に自分を追い込んで
精神的に坂道を転げ落ちるという想像もしなかった妊娠生活
を過ごしています。
大きなお腹を抱えて暗い森をあてもなく進むような。

最後に集まった人たちとお腹の大きな状態で
記念写真を撮りたかった、大きなお腹で談笑するすがたを
カメラに収められたかった。
仕切りの無いオープンマイクで食事メインでその日
きた人が何かやるってスタイルでやるならできるかもしれない

鑑定も最後に常連さんと食事会とかなら出来たかも・・・

でも、それを立案して動かす事が今のアタシには出来ない。

精神科のドクターであるメガネ先生は今日
「でもそれは普通の事です」といいました

大事にしていた仕事やイベントを諦めなければならなくなって
落ち込まない人はいませんと。
こういう時の「普通」って言葉は和らぎますね。

身体を第一にする、というシンプルな事が
自分を犠牲にしても何かをやり遂げるという生き方で
色々な事をなんとかしてきた自分には
滝に飛び込むくらい難しく葛藤とストレスとプレッシャーが
必要です

「この財布を買ったら100万当たった!!女とヤレた!!」
みたいな雑誌についてる嘘くさい効果宣伝も無く
「それをやったらもれなく熱海旅行があたる!」みたいな
釣りも無く、ただ、どっかのタイミングですがれる藁も無く
やってみるしか方法はないそうです。

夫は精神的に追い込まれて駄目だと思って
自分で変わるもんだといいます。
今がその時なのでしょうか。

駿馬のごとく
帰宅後、夫がスーパーに出かけて桃を買ってきてくれました
待望の桃はこの季節だと漱石一枚くらい飛んだとか
柔らかくずっと欲していた甘みでした。
涙が出ました。

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