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2015年5月10日 (日)

母の日ビギニング

母の日ビギニング
いつもは早く心を復帰させてくれる誰かのことばを求めていた自分ですが
今回は意識的に淡々と日々を過ごしております。

今日は母の日でしたが、
お祝いのお花はとっくに母の元に届いてしまったので
メールにて「今年は特にありがとう」という簡潔なメッセージをおくり
日中はフリマに出店しておりました。

夕方帰宅すると、顔がみたくなったのでいくわと母からメッセージが
のこされており、母が来ました。

「彩ちゃんはもう半分はお母さんだからね、お祝いをしないと」

という動機だったらしいのですが、その手には
一年前に私が一緒に買ったという日差しを防ぐ帽子が握られておりました。
日もとっくに陰っており、必要はなかったのですが。

そして今実家の庭に咲き誇っているというみかんの花から
キレイなやつを慎重に選んだ後、ばらばらと机におきました。
甘い花の薫りがして、アタシは60代以上の大人三人だけで暮らしている
実家をしばらく訪ねていない事を「ごめんね」と思いました。

うちでやっとみられるようになったBSをつけ、
TVっこの母のためにお茶を入れました。
実家にいた時、母と祖母がこうしてテレビをみながら向かい合わせに
お茶をしていたのを思い出しました。

そして今日お客様から初めて届いた赤ちゃん用品をみせ
これはどう使うんだ、お母さんはどうだった?なんて質問をたくさん
したのでした。
確か、今は亡き安室ちゃんの母も娘とこんな会話ができて
よかったと本に書いていたような。

最後に悪阻の時にみせたかったけどずっとうちに
放置されていたクラゲのライトの説明書を読んで別れました。
あのときはこんなの無理!と思っていた下準備は実は超楽勝で
母が帰ったあとでライトを設置してながめました。

母はクラゲのライトをみてお腹の子はこうやって浮かんでいるのかと
思って欲しいといっていましたが、実はその真意はこれを買った時が
ちょうど心拍が無いので死んでるんじゃないかと言われていたあたりで
母自身の元気な赤ちゃんであって欲しいという祈りがあった時期だった
そうです。

その話をしたあと母がこういいました。
「私は育自力って本をよんでいてね、育児は児童だけでなくて
自分も育てるって言葉にはげまされていたのよ」
懐かしそうな目をしました。
母は母である前に子育てに迷う一人の女性だったのです。

でもアタシはそんな母を思春期以降ずっと、精神不安定になった
元凶だと言い続けていたわけで
そのすれ違いは霊視でもみえなかったある角度からの真実でした。
アタシも目の前の闇を振り払いたくて必死だったけど
母は母で・・・辛かったでしょう。
仕方なかったとはいえ、すごく残酷なことを自分はしていたんだなと
思いました。

子供をいつ生むの?と周りから言われる事は
妊娠前はまるで自分がやってきた家を支えるという義務を
あなたも果たしなさいと言われる行為にしか思えなくて
本当に放っておいてくれと思っていました。

うちの母は実際のところその言葉を言わなかったけれど
親や親となった人たちは、自分達の視点からの世界を単に
共有して語りたいと思っているのかもしれません
その戸惑いを、喜びを、そして力になりたいという思いを。
最近は特にそう感じます。

「赤ちゃんはまだ?」ではなくて
「アナタと子を持つ喜びや戸惑いやそういう色々を同じ視点で
語れたらどんなにいいだろうと思う事があるの」
そういう風に言われたらもっと産むか産まないか決められぬ人と
上手く話せるかもしれないのになと最近は思ったりします。

そして、クラゲのオモチャをみて「すっげー」というであろう
未来の息子を思いました。

そのクラゲを眺めていたら、夫が帰宅しましてアンニュイな顔で
一言こういいました
「これ・・・元カノの家にあったなあ・・・」
誰かの美しい思い出はある人の苦い思い出。

さあ、アタシは母の思いと夫婦仲、どっちをとったものでしょうね。

 

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