友達の作り方なんてもう忘れちまったな
冬からずっと使っていた布団が重たく、どかして寝ていたら風邪を引いてしまった。
喉風邪、しかし薬を更に足す気にはなれない。
なんとなく最近はまた自分のことを考えている。
アタシは友達の作り方、わかんなくなっちゃってるよなあと思う。
それは「使命(自分が考える)」に殉じ過ぎたせいだろうと思う。
人の感情のありかたを5分で見抜き、伝えたいと思っている言葉をまとめて
抜き取り、その上で相手の欲しい言葉を全身全霊で探していく、
という過程をアタシは公私混同でやりすぎたんだと思う。
自分のことを分かってくれる相手と出会ったら、その相手を好きになり
友人だと思うことは自然なことだ。ただ、アタシにとっては決定的なことが
かけていたんだと思う。それは、アタシの側が心を開いて相手に自分のことを
話して相手を信頼しかけがえの無い人と感じるプロセス・・・それが無い。
お客さんに自分のことを話すことはあったけど、それも相手が
悩むのは自分だけじゃないんだなと安心してほしいとか
お金を払ってこっちの話を聞かされて割にあわぬ内容にならないように
神経は最後までつかっていた。
終いには、自分のことを思うがままに話すのに罪悪感をおぼえていた。
ブログに内面を吐露することも友情においてはマイナスだったかもしれない。
読んだ人にお茶をしようと誘われたとしても、その基盤にある間合いとか
エモーショナルな何かが築けないと人は動けないんだなあと感じる。
アタシはブログで自分をオープンにしながら。実は閉ざされた方向に
自分を持っていっているのだと思う。
実はこの件については前々から指摘を受けていたのだけど
アタシが理解をしなかっただけだ。
自分を守ること以上に、この占い師は感情がある人間なんだなという
前提を伝えようということが遥かに気持ちの上で勝っていたから。
でもアタシも友情がゼロってわけではなくて、単に心を許せる人が
できるまでのプロセスが一貫してしまっている。
まず、とある人がアタシの書いたものに感想をよせてくれ、それが
こっちの気持ちを代弁してくれているようなもので、
その人とやり取りが始まり、自然と自分からも話すようになる。
でもふと我に返ると、そうやって自分の感情を垂れ流すことに
罪悪感を感じてアタシは引くんだけど、
本当にごく数人だけ、そこでアタシが引く瞬間がわかるみたいで
「今、遠慮したでしょ?気にせず話して」とか会話を誘導出来る
タイプの人がいるのだ。
実際このミトラモグラを引きずり出すプロセスってのは非常に
めんどくさい。特に自分を発信してガンガン前に進みたいひとには
足手まといだ。事実アタシは、自分のことを話しかけた瞬間に
相手が引くのがわかる。そうやって、自分の話を聞いてほしいけど
こっちの話を聞いてくれない人は縁を切ればよかったんだが
失望しすぎて面倒になっていたアタシは結構なすがままに
なっていたと思う。(あくまでプライベート、お客様は別です)
でも何かのプロとしてお金を稼ぐことは人間的な営みを一つ
放棄することなんだと最近は思う。
もし人としての営みを取り戻したいと願うなら、助産院で言われたように
鑑定士をやめることだ。そして友人を求めるなら自分の仕事は
プライベートでは一切隠すほうがいい。そしてその、お互いに距離を
縮める過程を大事にすること。
でも、いつもお告げでお世話になっている御上に
「コイツの力になってやってくれ」という言葉を無視してまで
アタシはこれをできるだろうか?アタシは自分のエゴの価値に
自信が無い。
最近、ちょこちょこゲームアプリの話なんかをメールしてくる人がいて
その話題の軽さに救われてる。まずはこういう時間からと思う。
仕事をどうするかなんてまだ決められないが
とりあえず、自分が信頼出来る人かどうかという気持ちを
大事にしつつ同時にバランスの悪い状態で盛り上がってる相手に
「友情を感じてくれるのは有り難いけど、アナタはアタシを
何一つ理解してないと思う」ということを柔らかく穏便に伝えられたら
もう少しマシな世界に住めるんじゃないか、という気がしてる。
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