おおなわとび
日々寝たきりの36歳、昼下がりはメス猫たちの昼寝場所と化し
生ける日暮里と化しております。
ただこれまでと大きく違うのは、臍の下三寸の位置で
呼吸とも心臓のリズムとも違うなんともマイペースな動きを感じることです。
このやけに平和な気分はなんというのか、
世の母親達は総じて「なんともいえない幸せな気分」というのでありますが
もうちょっと動けぬつれづれに考えた結果は
自分がこの人の海になった感じなんですね。
お腹が痛いときとかに膝を抱えて丸くなって布団かぶって目を閉じた時
なんともいえぬ安定感がある、その浮遊感を自分が提供している
という、自分も生きてるだけで役に立ってるじゃんという満足感と喜び。
まあ、役に立ってるじゃんっていうのは照れです。
何とも言えぬ充足感。これだけに集中できたら
ベイビーアイラブユアウェイ、世界はボブ・マーレイです。
冒頭で猫の話を出しましたけど、子猫を埋める先生には
分かんないかもしれないけど猫がゴロゴロいいながら膝に乗って
寝てしまったりすると、そのあんまりの平和風情にトイレにも立っちゃ
いけない気分になるんですがアレに近いです、継続したい気持ちと
ちょっとした責任感ない交ぜ。
とはいえ、やっぱりそれが、自分の中からくるのは若干ちがう。
経験しないとの世界かもしれない、ごめんなさい。
でも、自分がこうなったのは酷い悪阻もあるのかなとも思うのです
悪阻が酷くてまったく立てなかった時、読んでいた育児漫画が
あったんですが、赤ちゃんが離乳食を気に入らないとぶん投げる
という記述をみたときに、あ、なんか自分じゃん?と思ったんですね。
身体が出来てまもなくて、受け付けるものに肉体的な制限があって
もどかしくて暴れる感じとか、昼夜が無い感じとか、
脳下垂体の策略で周りが全くみえない感じとか、
自分ひょっとしたらコイツの気持ちを先取り体験してるのかもな
命をもってしまう戸惑いを一緒になって体験してるのかもしれん
なんてことを思ったんですよね。
今はお互いにそういうものを一通り超えたのかもしれないです。
悪阻があんまりしんどくて嘆いていたところ
みるに見かねた母達から
メールを戴いたんですが、大きい声じゃ言えないけど
実は妊娠中アレしちゃったり食べちゃったけど大丈夫でしたとか
意外に赤ん坊は丈夫ですなんて文章をみるにつけ
アタシの中ではなんつーか身ごもった女性は
戸惑いと動揺の果てに子供って受精したタイミングである程度
運命が決まってるんだなという達観をへて
自分なりの大枠を設定して図太くなっていくんだなという
印象になりました。
いずれ自分もそうなるのでしょう。
まあ、分かっていて生食してトキソプラズマにかかるとかは論外ですよ。
妊娠って大縄跳びだと思うんです。
縄と両端を担っているのは神様と運命で、跳んでいるのは親候補。
親は跳びながらも子供が入れるスペースをつくらないと
子供は入って来れないし
子供はこちらがスペース空けても勇気を出してくれなきゃ
やっぱりこられない
そしてせっかく勇気をだして飛び込んでくれても
タイミングが悪くて引っかかってしまうこともある
でもたぶんそれはどっちが悪いとかいうものじゃなくて
ただこのタイミングじゃないんだって学ぶ時間だと思うんですね
アタシは避妊はしないけど、受胎のために
生活をどうこうしていたわけではないので
チビコ的にはなんとか縄に割り込んだんだと思うんですよね
で、やっとバランスをとって一列になって跳びはじめた
とこなんだと思うんです
あとはどこまでこれを維持するか
とはいえ、まだまだ胃が痛いです、
空腹では生唾がとまらず
ご飯食べればすぐえずいてしまうし
今日は30分に一度、せんべいかじるとかクッキーたべるとか
カップスープ飲むとかして
ずっとおやつみたいに食べ続けて無理矢理安定させました。
パンが食えなきゃお菓子を食べればいいじゃない
36歳からのマリーアントワネット。
アタシが調子悪いとマサカドもまた粗相するので困りものです。
何かいい方法無いかなあ・・・・?(結局泣き言)
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