世界に夫とアタクシと
今日はホワイトデーです。
夫からは少し早くお返しを貰いました。
きっとお腹が大きくなるからMサイズとのこと。
「ごめん、アタシは淡いピンクは似合わないんだ」
と言ったものの、今日久々のお風呂あがりに着たら結構合いました。
今年夫が普通に仕事にいくことは大きな意味を持ちます。
一年前は昨日から脳出血で入院したからです。
入院が決まってすぐ夫が口にしたのは
「…ごめんね、今年のホワイトデー返せないや」
でした。
24時間完全介護だから、たまには行かない日も作って身体を休めなさい
というアドバイスを貰ったのに
アタシは毎日病院に通いました。
「寂しいかな、辛いかな…退屈かな?」
そう思うと顔を出さずにいれなかった。
今思うと、わざわざ夫のツイッターとフェイスブックに書き込んだのは
やり過ぎでしたが、それが癖になって今のFBユーザーのアタシがあるので
なんとも言えません。
病院へは毎日夫の病状報告を書きこみ、そのコメントを
逐一プリントアウトして持っていきました。
(見舞いにいくって騒ぎになったから責任とった)
そして手を握りました。
今だから書けることですが、夫はアタシと親族以外の見舞いを
悩みながらも断っていました。
アタシも夫が入院するまでは、入院=見舞いが当然と思っていたのですが
見舞いって意外に本人の心に余裕がないとかえって来客に気を使って
患者にマイナスになるんですよね、本人の気持ちが弱りまくってるとか
暇すぎて死にそうとかは別ですが。
幸い検査入院で終わったので一週間足らずで出てきましたが
夫の人生とか幸せに対する問いはそこから今日までずっと続いている
気がします。
タバコの代わりにゲームと食べることが生き甲斐になった夫ですが
彼のその内向きな解消法はちょっとアタシと似ていて
やっぱり彼も自分を出したり伝えることが苦手なのかもしれません。
ライブハウスでも目立つわりにはお気に入りのコミュニティのなかで
ニコニコして混ざっている人だったように感じます。
たぶん、夫は自分の周りで誰かが集まって楽しそうにしているのを
見てるのが好きな人なんであって、成り上がるとか裸一貫でたつとか
皆に無視されても自分であり続けるという生き方とは無縁な人なんです。
や、むしろそういう孤独な人が必要とするタイプですね。
だからアタシは個人的に、腕をあげて成り上がりいつか店を出す!
という技術とスピードで評価される環境よりは
「おう、イッキ、この前のオムライスもうちょっと頑張れよ
またうまくなった頃に食べに来てやっからな」
みたいな常連さんがいるような店であたたかく育ってほしいし
同時に、そういう技術以外の雰囲気で彼を雇ってくれるオーナーん
とこで働けたらいいんだけどなと思っています。
なんか、まるで今がそうじゃないみたいな書き方で誤解をうみそうですが
(夫の職場の方すいません)
これは彼がどこで働こうが常に考えているアタシの一貫した思いであります。
でも悪阻で動けなくなって思うんです。
アタシは念力でも御神力でもなんでも総動員して
彼の人生を無意識にそういうように持っていこうとしてた気もして。
でもそれはアタシの願望を投影しただけのひどいエゴなんですよね。
彼には彼の人生があり、彼が自分にとって適切なタイミングで
それを果たせるように、まるで笹舟をそっと押すように祈って見守るしかない
んですよね結婚していても。
じゃなんで一緒にいるのか、ということに関しては
これからチビコが教えてくれるのかもしれません。
最近は気が弱るので、時々ベッドから手を出してそっと握ってもらいます。
夫のつくるお茶を寝る前に飲むと、少し眠れます。
悪阻がひどいと当たって喧嘩ばかりするので
早く平穏になって見守れる優しい妻になりたい今日この頃です。
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