ナーバス
人は思っているより優しいという人に限って自分が優しくなろうとしないんだ。
昔、人が嫌がることをしてはいけませんって説教されてさ。
アタシは常にそれを守ろうとしてきた。
たとえそのことで多少なり自分が壊れても。
だって皆そういうアタシが好きだったじゃない、
そういうことに安心してなんでもかんでもぶちまけてきたじゃんか。
大切な人だと言いながら三年後には面倒になって傍観者にまわるんだろ?
何度も何度も「おまえもか」という台詞を繰り返してきた。
最近これでも、ちょっとずつ悩みを小出しにするのを試しはじめた。
でもタイミングが悪かったり。切り出した途端に返事が途絶えたりして
たちまちパニックになった。
自分はそんな重くて負担になることをいったのだろうか?
自分はそんなにうざいのだろうか?
ただでさえ、いつも誰かの相談をきいてパワー不足の状態で
リペアしようとしてかえって削られるなら抱え込んだほうがまだマシだ
と思ったのを思い出した。限界を超えちゃったほうが思い切って頼れるし
なんてことを思い出した。
ここにきて、話しかけてくれた先輩のお姐さんにそのことを話す。
平岡さんは、アタシが霊感に目覚めた8年前にも支えてくれた人。
彼女とお茶をした時のあの間が恋しくて思い切って連絡を再会した人だ。
おしゃべり泥棒というくらい熱く話す人が
注意深く、こちらの反応をみながら、返事をかえしてくれる
「自分のタイミングで待っていたら辛くなるよ、後ろ向きにならないこと」
「想像力とセンスがあうか合わないかだから自分を責めないで」
柔らかいけど簡潔でいつもすごいなと思うのだけど
昨日は特にびしっと思う言葉をもらった。
「自分を守るために、
人を守ってるって事を、
少し理解してもらいなよ、ね♪
人が守れなくなったら、私は自分をどう守っていいかわかりませんって」
びっくりして感動してちょっと泣いた。
いつも自分の思いと弱さを打ち明けることが出来なくて苦しかったアタシは
誰かに寄り添うことでその辛さをなかったことにしようとした。
アタシが苦しいのはこういう誰かの気持ちを理解するため
アタシがそういう機会に恵まれないのは強くならなきゃいけないから
そうやってたくさんの人に会って自分を焚き付けていくのに
一方で聞いてほしい気持ちはどんどん大きくなるから参った。
眠れねえとか、飯が食えねえとか、そういう身体の反応以前に
「でもアタシにはそうやって聞いてくれる人がいない!」と
心のガキが騒いでいた。
あらゆることを試して来たと思う。ポエトリーリーディングも
版画も、音楽も、そういう自分を肯定するつもりでやった。
マットレスも変えた、鉢植えも植え替えた、それでも尚
「一番分かってほしいのはアタシでしょ?」という心の声が消えない。
人に飢えた気持ちが人以外で解消することはない
という事実だけが重くのしかかっていった。
そして妊娠はアタシの我慢の限界を砕いた。
明日会う医者はどうするんだろう?心の隙間に薬を出すんだろうか?
それともお役御免になるんだろうか。
でも仮に薬が出たとして、ウツは心の風邪というなら
やっぱり最後は自分でなんとかするしかないのではないだろうか。
誰か私に手を差し伸べてくれませんか?支えてくれませんか?
人を守らなきゃ自分を守れないのに心身が追いつかないんです。
でも何となくこれは天に投げるべき案件な気もしてる
アタシにはもうどうにも出来ない。
今日も下腹部がぴくりと動いた、お腹のヒトは今日も元気だ。
なるべくこの人に影響を出したくない、という今アタシはナーバス。
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