下がる熱、聞こえぬ心拍
インフルエンザは激痛との闘いでした。
病院に行った日、母は遅くまで残り悪阻の看病に疲れた夫のかわりに
私の腰をさすり続けました。
そんな母の看病もあってか、皆さんの応援もあってか
御上の恩恵か、医者が言った最低5日よりも大分早く
昨日には熱が下がりました。
しかしあまりにも早いため一日様子をみましたが
引っ込んでいた悪阻も戻ってきましたしとりあえず
症状はおさまりました。
来週には鑑定を再開すべく悪阻をコントロールしようと思います
と、言うのが報告一。
今日そして産婦人科へいきました。
先生にインフルエンザの経緯を話し、何の薬を処方されたかきかれたあと
新しいエコー写真を渡されました。
先生は淡々とこちらを見ずに
「心拍が確認出来ません」
とつたえました。
「インフルエンザの影響かわかりません、もしくは染色体異常です。
ダウン症とかそういうのではなく、先天的に受精時に異常があると
胚のうが育ちません。15%はこうなると言われています、決して低い
確率ではない。
来週もう一回確定検査をします、それで決めましょう。
ご飯は好きにしていいです。」
そういわれて帰ってきました。
エコーの数字は5週4日。
一応、産む病院も決めるように言われたものの
アタシは半ば覚悟をきめました。
甘い夢は見ない主義です、心の負担になります。
夫は来週確定させられたとしてもネットでみたら
7週8週で心音が聞こえた人がいるのだからおろさせちゃ駄目だ
諦めちゃ駄目だといいました。
アタシは年末に観た自分の運命でとある上野の御上に
「まだ産んでいい相手か(たぶんアタシが)試されていることを
忘れないように」とお告げされたのを思い返しました。
悔やまれるのは、インフルエンザ後の病院。
アタシはこんな措置をうけました。
内科の先生に相談されたという産婦人科の女医さんがきていいました。
「松崎さん、インフルエンザで今まで奇形等の症例が
出たことがない薬はあります
でもこれからも何もないとは限りません
アナタ選べるんで、自己責任で選んでいただけますか?」
そういわれたアタシは投薬を選べず苦痛に耐える道を選びました。
そして家族と夫は、救急車は生死に関わる人を救うためのものなんで
気軽に使うな
救急相談に電話したり直接こっちにかけてタクシーで来いといわれ
アタシは帰りは放り出されるように自力で帰宅しました。
救急車騒ぎになったのは実はその救急相談窓口につながらず
追い詰められた家族がお腹の子とアタシを助けたい最善の措置で
とったものでした。
今日その話を主治医の先生に言ったら先生は首を傾げていいました
「どんな子でも数%の奇形の可能性は残りますし
タミフルは妊婦への投与への安全性が確認されています。
だから一刻も早く妊婦の負担をとるのが通例の対処です。
そんな、ゼロではないということを言い出していたら
何 も で き ま せ ん よ 」
そしてあっさり心の保険にくすりを出してくれました。
帰り道は言葉少ななものでした。
そしてアタシは夫に言いました。
「・・・・1/10のライブは出るよ」
このまま何も心の置き場がなく一週間過ごすのは正直発狂してしまいそうです
そして、本当に駄目だというなら
最後に一発がつんと叩き起こさねばやりきれない!!
理解出来ない人もいると思います。
でもアタシとお腹のコイツの決着はステージで決めるのが
宿命だと思います。
でもちょっとだけ安心してください。
アタシが無理なときは夫とギターの誠二くんが
Denen Kizoku!というユニットで出ます。
ライブは正味30分、実際の鑑定日の緊張を持続する拘束時間が
8時間なことを考えれば負担は少なく
なにより音楽は常に心の支えでした。聴いて愛してくれる人が
少なくともアタシには壊れ行く精神を支える最後の砦です。
これがアタシの最後の希望です。
理解しなくていいです、そういうもんだと思ってください。
そもそも助かりたくて担ぎ込まれた病院で子供が危険に晒される
人生しか歩めないなんてアタシだって選びたくなかったけど
どうしようもないんだ!!!
絶望に限りなく近いつわりは今だ続きます。
食わんでいいならなにも食いません。
寝ます。
| 固定リンク