« 無事にお帰り、崇徳院。 | トップページ | 来年1/10(土)は進撃のミトラとその調査兵団ライブ »

2014年12月23日 (火)

来年、夢今を終了することについて


 今年の10月末、ハロウィンのあたりだったと思います。アタシは御上に
一つのお願いをしました。「夢今を続行するか終了か決めかねています。
もし続行であるなら来年の2/13の回を年内で満員にしてください。」と。
そして夢今の参加状況は珍しい推移をしています。来年2月の夢今が
参加5人で止まっている中、4月の予約が埋まりはじめました。あと10日で
2月の4人が一気に埋まるのは無理でしょう、今月の前半まで乱れていた
気持ちも落ち着きはじめました。今は正月をまたいだどの辺で終着月を
決めるかをうっすらと考えています。

 一番美しいのは4月の40回で切ることでしょう。しかし4月はすでに
初出場の2人が決まっていて、出た瞬間に最終回ってのもちょっと申し訳
ないです。かといってその後に延ばして変に感傷的なお別れフィナーレに
なるのも抵抗があります。でもアタシはいきなりこれを書いてる訳でなく
12月の自分のステージで予告はしていたんです。「年末に2月のステージが
埋まるかどうかがベンチマークです」と。しかし、誰もその意味に気付き
ませんでした。「今日のステージは熱かった」「またいつか夢今にでたい」
などと無邪気な感想をいただきました。でも夢今38夜が涙の感動回だった
のは本当のことです。ただアタシはずっと何処か冷めた目で「皆楽しそうだ
よかったね」と思っていました。まるで恋人に気持ちが無くなったのを自覚
しながらするデートみたいだなと思っていました。

 夢今を終わらせる、このことをためらっている理由の第一はずっとアタシの
悲願であった占いのお客が夢今に足を運びはじめ、興味を持ち出したからです。
その人数は続けていれば一定数に達する予感はあります。私は夢今の
素晴らしさを思い出せなくなりつつありますが、単に年末疲れなだけなのかも
しれません。今までのポエトリーも版画も、あともうちょっとってところで
精神的にやめてきましたから、今回もそれでいいのか?とは思います。
もう一つは夢今の参加者。夢今「ファミリー」の動向です。これからも
永続していくと信じて仕込みをしている層にいきなり打撃を与えることは
正義なのか?でも同時にその「ファミリー」が「ファミリー」ではなかった
という気付きと失望が終了への引き金を引きました。

 アタシの中で夢今の常連参加者は今年の4月までは確かにファミリーでした。
でもそれを変えたのは6月の客席私語事件でした。あの日、私がステージ上の
パフォーマンスを中断し彼らを制すれば場は収まったでしょう。でもそれを
やることは彼らが楽しみにし、自分達を呼んでくれたアーティストを著しく
傷つけます。それくらい司会席と主催が行動するってのは重いのです。
でも実はそのお喋りは、彼らの肩を近くの人が柔らかく叩いて、指一本
笑顔で口にあてれば数秒で和やかに解決する問題でありました。
アタシは主催の孤独に耐えつつも一方で思っていました「不満を顔にだせど
微動だにしない’ファミリー’はどうなった?」と。アタシの場合、大事な仲間
であるなら多少自分に傷がついても介入することを考えます。休憩の時に
励ますくらいは出来たかもしれません。その後の飲み会でもその話は出ましたが
文句はいえどじゃ次から自分はどうする、とかいう話は出ませんでした。
アタシはますます強まる違和感と同時にイベントが「ムラ」化する危機を
感じました。アタシはひどく精神不安定になり、それをFBに吐露しはじめました。
しかし、そんなアタシに寄り添って話を聞こうとする「ファミリー」はいませんでした。
 
 FBで好評だったイラスト日記をやめたのもこの辺です。その日記になんやかや
コメントを書いてくれていた層が多くなるほど、自分が本当に助けが欲しく辛い時に
既読放置されるのは精神を破壊します。ぶっちゃいた話、アタシはFBは
友情をぶっ壊したと思っています。なんやかやと連絡をとり顔をみて近況や
本音を話し合っていた友人達はFBに加入後そういう機会がなくなりました。
TL確認してっからいいや、と思うのは絆が薄れる最初の一歩なんだと
今ではアタシは思います。でもFBで仲良くなった人もいるんで単に転機が
ぶつかっただけかもしれません。そこから9月、念願のグランドキャニオンに
行ったことも転機になりました。旅を通じてアタシは自分が頑張りすぎる代償を
他人に期待しすぎているということに気付き、自分の無理をあらためる
行動に出ました。

 日常を見直した時、私は休みの日でも絶え間ない愚痴メールを受け取り
どこかに食べにいっても何か相談事を持ちかけられる準備をし、しまいに
イベントを企画して「またやって」といわれ次々と責任を背負い込むループを
作っていることに気付いたので、とりあえず余程心に余裕がある時以外は
家に閉じこもることにしました。期待しすぎる元になるので人に悩みを
打ち明けるのもやめました。当然逃げ道も決めず思いつきで始めたので
すぐパンパンになりました。でもトラブルは減り、何故かお客は増えました。
アタシは多分、多少思い詰めた顔をしているほうが本人の思いに関係なく
似合ってるんだろうなと思いました。

 それでも耐えきれなくなった時、助けてくれたのは占いのお客さんでした。
「先生はすぐいじけるから仕方ないね」そういってニコニコ笑いながら、
おやつを持って駆けつけてくれました。6月の不安定を引き起こしたときも
そうでした。一方で夢今の問題は編集と表現や、参加者同士の軋轢など
ひとりで判断して決定するのが重荷になり、届く言葉は「甘えさせてもらう」
という内容が増え「もう駄目かもしんない」と一人で呟くことが増えていました。
それを察した人が手厚くありがとう、という言葉をくれるけれど、過剰な感謝が
一人に集まると集団はカルト化します、それも悩みの種でした。

自分の時間を増やしても、悩みが重くなる、夢今をカットすれば楽になれる
でも、踏み切れない。一人の表現者として活動したいアタシを沈めて夢今を
維持しても報われる心の繋がりはかえってこない。そんな堂々巡りの集積を
拭うのが無関係なポジションのお客さん達というのは何かおかしいという思い。

でも思い以外の解決法はあるのです、ぶっちゃけ金です。夢今はあと500円
参加費を上乗せ出来たら出演者だけでだいたい元が取れるようになり、
アタシのサービスの方向性も大分楽になってきます。本当は3000円の入場料で
なりたてば御の字ですが、それではコインマッチで満点をとってもギャラにできず
皆のやる気も削がれてしまうでしょう。お金は情の問題を解決しますが
おそらくこれはアタシの出演者への認識を本当の意味で「仲間」から「客」に
変えるコトになるでしょう。商業意識を強くすることは夢今のインディペンデント
精神を壊すことにならないか?でもそんなものすでになかったのかもしれない、
かつて夢今のノウハウをブログに書いた時、届いた言葉は「何か自分も
やってみます」ではなく「だからついていきます」という人しか産み出せなかった
のですから。

 腐った内輪受けのイベントに成り下がる前に、輝きを残したまま夢今を殺せば
かつてアングラ演劇やロンドンパンクに憧れたアタシのように、喪失感から
何かを産み出す人がでてきてくれるかもしれない。終わらせるべきと考える
理由の大きいとこにこの最後の希望感があります。

でも、上記の全ての思いを破壊するような思いがけない出来事が
今日アタシにおこりました。

アタシ、妊娠したのです。

子供が無事に育って産まれた時、私の生き方や価値観は大きく変貌する
かもしれません。夢今への捉え方も大きく変わるかもしれません。
でも変わらず伝えたいことがあります。

先日の夢今、自分のパフォーマンスの最後はマインドロックのアカペラでした。
なんか愚痴言ったと思ったら突然切れて唄いだした、としか場内は見えなかった
とおもいますが、アタシの気持ちは錯綜する思いでたぎっていました。

アタシは伝えながら訴えていました、
本当に途方にくれた時にアタシの口をついて出たのは唄だった
それは売れ線かどうかでも模倣でもなくアタシの純粋な表現だった。
でもそういうのを発するのに適した場所がないからアタシはそれを作った
アタシは出てきてほしいと思っている、
「ウチのイベントはもっと面白いよ、アナタならきっとわかるはず、
観にきてよ、悔しがってよ、可能性を感じてよ」
そういう風にワクワクさせてよと。

でも今夢今に出てる、ここに来てるアナタ達はどうだ?
居心地の良い空間をみつけ、気に入らないことを遮断して
アタシの作った砂の上で、これが革命とさも何か成したように笑っている。
身体がどうとか忙しいとか本当は関係ないんだぜ、
前に出ろ、痛みを負え、そしてもっとうまくやる方法を考えて
試して進み続けるんだ、そして、後世の奴らが憧れるような
少なくともそこにいないことを悔しがるような、そういうものを
もっともっともっと、作り出してくれよ!!

たった一人でいい、どうにか伝わってくれないでしょうか。
酒でも呑みながら話したいですよね、あ、でも飲んじゃ駄目なのか。
「百楽の長っすよ、おちょこに5mmくらいなら」
って言った瞬間睨まれたもんな、医者に。

思うところは全て書きました。
明日からは1/10のイベントについて
書いていこうと思います。

|

« 無事にお帰り、崇徳院。 | トップページ | 来年1/10(土)は進撃のミトラとその調査兵団ライブ »