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2014年12月15日 (月)

健康という残酷な響き


すっちゃん四日目、明日以降退院が可能になりました。
下痢に苦しむ夫はノロの疑いが出て朝から緊張が走りましたが
検査結果は陰性でまあ一安心。
明日はそんな夫の体調が不明瞭ですし私が仕事のためすっちゃんが
馴れるまで付き添ってやれないので明後日以降の退院を考えています。

そして病理検査の結果が戻ってきたことがわかりました。
結果は・・・脾臓の萎縮と鬱血はあれど病変無し
つまり良性っていうか健康みたいなもんでした。

アタシが思わず
「じゃ、とる必要なかったって事になりますか・・・?」
と呟いたのを先生はうけとめ

「はい、そうなってしまいました・・・」と俯いて答えました。
「ごめんなさい、僕にもっと高い技術力と設備があれば」
と真っすぐにお詫びを口にした先生にはいつもながら好感をもちます。
先生は鬱血と萎縮について詳しい説明が欲しいと感じ
さらに検査に出し原因を究明されるそうです。

前にも書きましたが、脾臓はなくても生きられる割に
針を刺すだけでも血が臓器からあふれて失血死するリスクが高いため
とって検査に出すのが一般的な治療法です。
なので先生は悪くない、むしろいつも通り最善を尽くしてくださってました。

しかしアタシが落ち込んだのは自分の霊感のせいです。

執刀の判断の際に「切ってはならない」という言葉をきき
しかも馴染みの名医がたまたまその日に連絡をくれたタイミングで
脾臓に針を刺して検査出来る可能性があると教えてくれ
それはもうただ何もしないのでは納得ができない
というアタシに対しての御上の精一杯の温情だったのかもしれないのに。

勿論遠い場所にスッちゃんを連れて行きリスクの高い針診療で
万が一に怯えることも怖かったけどその週に夢今のプログラムを
あげねばならず、何かを試すという判断が出来なかったアタシ。
今思えば夢今のプログラム一回分ぐらい飛ばしても良かったのかも
と思います。

今後何かあった時に「脾臓をとってないせいでは!」と怯えるよりは
現実的に対策をうちたいと思ってやった手術ですが
免疫力を下げて危険に晒したという点でアタシは
治らずについにジムを断念する結果を招いた右手の捻挫の痛みとともに
アタシは自分を一生許さないでしょう。

過去の失敗を責め続けるのは自分のためです。

アタシが「神様がいった」以外の現実的な根拠がない場合に
飛び出す判断をできない人間であることは
お客さんをトンデモ世界にもっていってしまわずにすむ点では
メリットだけど、こういうときはつくづく苦しいと思います。

こんな霊感ならないほうがいいとか一瞬思っちゃった、たは。
これ以外ではマトモに働けたことないのにな。
とりあえず休む時間はないけど、ちょっと方々に迷惑かけつつも
すこしクールダウンの時間をつくろう。



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