« やり過ごすのは駄目なのかもしれない。 | トップページ | つきあって4年。 »

2014年11月17日 (月)

家族とアタシと愛しの荒北。


実家の家族の誘いで日米野球にいってきました。
しかし夫婦共に今の選手が分かりません。
夫はクロマティと原選手をみたいという始末です。


せっかくなんで原監督と拳をゴン!

私達家族は3塁側の大リーガー側の席へ。
私の前に座っていたおじさんはグローブをつけて嬉しそうに
サインボールを待っていましたが、こっちには誰も投げこみませんでした。
選手の皆様、もう少し愛がほしかったです。(ザ・勝手な意見)

選手が打席にたつとその選手の好きな曲が流れるのですが
曲の趣味的に侍ジャパンとはお友達になれなそうで
ずっとアメリカチームの選曲で首を振っていたら見事に
アメリカチームが初勝利しました。よかったよかった?

さて、日付は変わり今日、田舎に帰省していた父が土産を
渡したいといっていたんですが、実はアタシ精神的に追い込まれ
にっちもさっちもいっていなかったんですね。

それで父に正直に「今日はかなり抑ウツ状態なので後日にしてほしい」
といったところ、心配して両親が自宅に押し掛けてきました。
薬等の効きそうなもののリストアップをしてもらったのですが
こちらから
原因は睡眠不足と追い込まれるような出来事が集中してしまった
ことによる突発的なものだということを説明し
店の状況や介護の心配や日常のこと等、三分の一あたりを話したところ
父は「もっとお前が気楽に帰れるようにしないと・・・」と呟きました。
母はずっとアタシのやり残した家事を手伝ってくれました。

それでも話すということは不思議なもので
食事したい気分になり連れ立ってバロッサに出かけました。
ランチタイムのバロッサは混んでいて、ソムリエの加藤さんに
負担はかけらんないなと思い普通のハウスワインを頼んだのですが
両親の誕生日が近いということを覚えていてくれて
いいワインをサービスで持ってきてくれて、
今日はそういう優しさが本当に身にしみました。


父はいいます、「とにかく自分を守れ、お前が健全であることが
周りを安心させることにつながる、そして気軽に話せる人を作りなさい」と。

しかし私は9月の渡米以降、人に話すのをやめる方向で行動しています。
話せる相手を期待することが一番自分を苦しめるので。
正直、どっかの穏やかな地域に引っ越して、とか、ラズベガスに逃避行とか
って考えたりします。でも、都会から離れ、文明を批判し、生活を隠遁させる
そんなことが、本当に市井を生きる人たちの悩みに共感することに
なるのだろうかと思い直します。

答えはいつだって否、なので。

そして期待しない時に訪れる優しさは本当に身にしみるもので、
今日は心から親に感謝しました。
店でも時々「せんせ、ブログ観たけど」と声をかけられる時があり
仏は本当に市井にいると感じます。
本来なら、弱音を書けば客が激減する稼業なので。


仕切り直しだ、と少し横になり、そして思い立って
弱虫ペダルの荒北くんの話がある21巻を御守り代わりに買いました。
この巻で荒北君が言う「恨みでは越えられない壁がある」って話が
大好きです。

たとえばFBで落ち込んだ時につくイイネ!をアタシはどうしても
そのまま堕ちればイイネ!だと受け取ってしまいます。
それは子供の頃から「私がすべて背負えばいいのだ」という我慢と
表現活動の節目節目で言われた「もっと苦しんでくれ!」であるとか
「苦難の先のブログを面白いと思って読んでいます」という言葉で
うけたショックが癒えないからです。

でもそれをつけた人がそういう意味ではないというのを
わかったと言わなきゃ嫌われてしまうと思って理解するフリを
するのは違うと思うんです。

その先の本当になりたい自分を目指してばく進し
「どうでもいいこと」にしてしまいたい。
そして忌み嫌われても人としての「真」を問う人間として
闘い抜きたい。

アラキタ君、ちょっと力を借りるよ!
さ、頑張る!

|

« やり過ごすのは駄目なのかもしれない。 | トップページ | つきあって4年。 »