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2014年6月27日 (金)

あの日から考えていたこと。

神様、仏様、稲盛さま!

お恥ずかしい話、今月の「夢よりも今を語れ」でアタシは
騒がしくなった会場を全く制御する事が出来なかったことに
ショックを受けてから2週間がたちました。

やっと冷静に文章がしたためられそうです
あの日は途中から転換中はおろか演者のはじまりも関係なく
喋り声が絶えませんでした。

穏便な呼びかけを辛抱強く続けたり
最後には立ち上がって呼びかけたにも関わらず
アタシの空間を大事にしてほしいという思いは届きませんでした。

自分の無力さと思いが伝わらない失望で心が折れていくのを感じながら
一方で「いい加減にしろ!!」と叫びだしたくなる気持ちを
必死に抑えるのに疲れきったアタシは
最後のゲスト賞タイムで観客賞を出す気力を失い、失念してしまいました。
本当に申し訳なく思っています。

怒鳴るのは簡単です、でも出来ません。
いくつか理由があります、
まず怒鳴るとその日の思い出が「主催が途中で怒鳴ったんだよ?!」
ということで記憶が終わってしまいます。
アタシが楽になりたいという理由でそれをするのは不本意です。

次にお客さんが、出演者の呼んだお客さんだった場合
出演者のプライドをズタズタにしてしまうことになります。
かつてアタシは自分の呼んだお客が注意され、
そのことでかなり胸が痛くなったことがありました。
来てくれたお客さんに対しての気持ちと箱に対してのすまなさ。
夢今は15分しか出順のないステージです、
それを観にきているお客さんがいるなら迎え入れて大切にしたい。

最後は上に関連しますが、かつて自分がお世話になっていた
ライブハウスが積極的に注意する箱だったのです。
そこはちょっとでも演奏中に外に出てきてくれたお客に謝辞を伝えていると
中に入って演奏者みて勉強しろ!と怒られる箱でした。

表現者としてかなり勉強になり、今の基本は出来ました。
でも一方で、大丈夫そうなお客さんを誘う前から選んだり
なんだかやってるうちに自分の世界が狭くなるように感じました。

音楽は制限のない心に降ってくるからこそ
自由に染み渡る、そういうものに違いない
アタシは強く実感し、極力「広がること(撮影はOKです、とか)」
以外、心を縛る注意はせず、自発的に表現を観たくなる場
というものにこだわってきました。

アタシのMCもその一環でしたが、思いがけなく
出演者が出演を決める要素の一つになっていきました。
でもあの日はこちらも集中出来ず、コメントを練れなかった。
でも、もともと繋ぎでやっていたことなので、コメントを聞いてもらうために
黙らせるということにもためらいがありました。
でも、これが楽しみになっている人もいるのを知っていたので
心苦しくもありました。

イベントが終わった後、正直騒いでいたのはこの人では
なかったか?と心当たる人を呼び止め対話をしたいと思いました。
しかし、主催があえて呼び出して何か注意してる
と思わせるのも可哀想だと思い、
その人を傷つけないようなシチュエーションを・・・
と思っているうちに結局言い出せず
ぐっと言葉と感情を飲み込んだのですが、
飲み込んだつもりが結局自分の中にドロドロと溜まっていきました。

気付いた時にはそのことを打ち明ける気力をなくし
「もういなくなりたい」としか家で呟かなくなり
自分が心のメンテをしくじったことに気付きました。

書くと些細なことです、でも答えを出せませんでした。
でも確かなことはこれしかありません
イベントを制御出来なかったのは全てアタシの責任です。

実は学校の授業でも似たような失敗をしています。
学校のニーズ、学生の欲しがっていること、アタシの気持ち、
未来の日本を考えた上で伝えなければならないこと
その四要素の接合点を考えるあまり
ガンとした注意が出来なかった場面が多々あります。
それにより、アタシには30人超の学生を教えるのには
向いていなかったのではないかと思うようになりました。

鑑定は1対1なので比較的うまくいくのですが
やっぱりアタシはとある人生の先輩が言ったように
「演奏者も客もライブハウスも満足させるなんて夢みたいなこと
いいすぎ」なのかもしれません。

昨日、鑑定に来たお客さんが最近元気がないから差し入れだ
といいプリングルスを持ってきました。
自分が原因の一端では?とちょっと心配な発言をしたので
そうではないんだと上記のことをいったら

「怒鳴っちゃえば良かったじゃないですか、
だってミトラさんは充分素敵だもの、なんとかなりますよ」
なんて軽やかに励ましてくれました。

いつもならイラッとするんですが
その本当にブログを読み込んでいるんだなあ
と感じる彼女のまなざしとニコニコとした菩薩のような表情に
なんとなくテキサスのダイナーで愚痴っている女子同士のような
安堵感があって、その20分だけ旅をしているようでした。

彼女はしきりにアタシを可愛いといい
その言葉に予備校時代に知り合った八歳上の受験友達の
お姉さんを思い出していました、同じことを良く言われたなと思って。

どうして、そうやって自分を追い詰めるんです?って
なんでやろ?
わからんな。

そんな訳でザッケローニの落ち込みや長谷部の気持ちは
他人事に思えず、長谷部の本を読み返してたら
その中に「稲盛和夫」という言葉が出てきたので
思い立って本を買いました。
気になってた松下幸之助の本と、あと猫本は心の保険です。

自分で考えて出せない答えは経営の神様に。
イベント運営とそのナタの降り下ろしどころそういうものは
経営のリーダー論から学べるのではなかろうか。

答えは自分で出さねばなりません
一歩進んでみることにしました。

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