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2014年5月12日 (月)

食べるということ

食べるということ
おおつか音楽祭に毎年出演している(少なくともここ三年は知ってる)
ちょっきんさんという愛されミュージシャンがいる。
今年はじめてライブをみたのだが、何月はなにたべる?と季節の食を促したり
朝ご飯をたべよう、食べないと元気でないぞうなんてことを歌にしたりしてる
春の七草を覚えさせるために阿波踊りのリズムとドッキングさせたり
納豆の歌をロックンロール調につくって保育園児を踊らせたり
多彩なのである。

ギター1本で暗いばかりか暴れすぎて
よれよれのパフォーマンスになってるアタシが大塚の暗部になってるのに
対して、彼女は光である。

そのキャッチーなメロディを思い返しながら
昨日手元のクーリエ6月号をみてた。
食料の需要は2050年には二倍になるらしく
現時点ですでに人工肉の開発なども行われているんだそうだ。
試しに筋繊維を3Dプリンターで印刷して好みの形状にするなんて
実験してる会社もあるみたいだ。
牛肉はキャビアみたいに高額になるという人もいて、
しょえーって感じだが、同時に
なんかそんなことして新しい食料作る以前にやる事があるやん?
と思う。

アメリカに展示しにいった時、驚いたのはその量だった。
アタシは思った、少なかったらクレームになるが、多いぶんには
残せばいいだけじゃん?という徹底した合理主義を感じた。

食料が、コンビニの弁当の廃棄とか結局自分たちが必要な量たべる
という原点から、ビジネスを回す量で換算されるようになってることを
もうちょっと真剣に改善したほうがいいんちゃうと思う。

神社にお詣りしたら出来たら本殿だけじゃなく
ぐるっと一周してほしい。
ところどころの神社に魚塚とか供養塔がある。
アタシは、奪った命にたいして礼をこめるという
日本の先祖の生き方が好きだ。

屠殺場の経営者が食肉なった生き物のために供養をする
なんて新聞の記事も読んでる。
命を奪う事の重さを肌に感じている人たちは今でも結構いると思う。

パワーストーンフェアであったブラジル人は
動物には知能と心があるんだ、食っちゃダメだといったが
なんとなく食ってぽい、みたいな考え方してんだろ?と
欧米のものさしで計られちゃたまんないんだよなとアタシは
個人的にはそんな反発心をもつ。

でも最近、いただきますとごちそうさまが
おろそかだった気がして反省した。

食べるということ
ベランダに咲いていた鉢植えのガーベラが5輪咲いていた。
そのうちの一つは花と花の間に埋もれ、くびを僅かな隙間にむけて
太陽光を採ろうとしていた。

そのままにしておけば天寿を全うしただろうが
アタシは思う存分咲いてほしくて茎を切った。
アタシのエゴだがそのチョッキンを実行するまで
けっこう数日に渡って思案した。

いのちを奪うってやっぱ、簡単じゃないわ。

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