明日は夢今、流されないハートを・・・
気付いたら日中スプリングコートでも暑い。
今日は鑑定日だが予約が少ない。
夢今の準備と雑用を片付けながら、ランチの誘いも断って
ラーメン食べて早々に事に移ろうとしていたのに
近所でテレビの撮影なんぞやっている
気付いたらもう4人に個別にメッセージして教えている
自分はミーハーだ。
テレビでみている誰かのホンモノをみて、リアルと画面の違いを確かめたい。
テレビなんかもう観なくなったぜといいながら
なんだかんだまだテレビの向こう側の人は特別だ。
昨日はテレビで小保方さんが出ていた。
うーん、どうなんだろう?
文脈がおかしい、違和感がある。
アタシが思うに「申し訳ない、でも信じてほしい」という人は
慌てて出て来て反論しとりもなおさずな体で出る。
そんな姿で出てくるほど焦っているのか、なら何かあるやもしれん
と周りは思うものなのだが
昨日の彼女は実に綺麗だった。
充分な時間と準備をとり、実に画面映えする出で立ちで言葉を
発している。事実これを観た人が「許してあげようよ」という
気分にけっこうなっている。
本当に反論するなら自分なら時間がかかっても
具体的な数値や結果を出して納得と説得力をつけるであろう
しかし彼女のこのタイミングでの登場は
これ以上自分に深い疑惑が向けられるのを避けようとしてるような
戦略的なにおいがする。
佐村河内氏のときも思ったがテレビに出てくる謝罪の姿の裏に
データ戦略を感じる。大体○日以内にでてきて、服の色はこうがよくて
こういう言い方であれば聴衆が味方につきやすい
というような戦略を感じる。
生き残り戦略としての謝罪は本当の謝罪なんだろうか?
生き残る為の作戦に聴衆が踊るのも違和感がある
が、昔は庶民がナンダカンダいっても大本の人は揺るがず
判断が下っていた気がするが
今はその聴衆の踊り具合が物事の結果を大きく左右する時代な気がして
それが実に怖い。
facebookはじめて思う、いいね!がつくのは(つけやすいのは)
デザートと料理と風景写真だ。
深い思慮を必要としない表面的でキャッチーな反応が動かしていく時代に
自分がついていけない気がして気持ちがローになる。
いいね!のマインドの半分は深い同意のない
キャッチーなものだと感じてる、その数を支持された真実だと思うのは怖い。
さて、明日は夢今、キャッチーではないが
ディープな夜が待っている。
動画は、明日の3部で登場する朧月ムメイ+小松成彰のコラボが
始まった瞬間。
リアルで知ってる出会いの瞬間が発展する姿をMC席から
肌で感じようと思う。
ホンモノか否かの判断の基準は
いつだって根っこを感じるリアルかどうかだ。
アタシは、やっぱ根っこを感じるリアルが好きだ。
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