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2014年3月29日 (土)

アンディ・ウォーホル展、永遠の15秒



帰ってきたらぐったりしちゃった。
でも何となく昨日が一番いい気がしたの。
でも、行ってきました森美術館。

銀色の雲のインスタレーションの再現とか
ファクトリーの再現とか
趣向を凝らしている正に回顧展という展示でした。

あのダダダダって並んだキャンベルスープはなかったから
国立新美術館に観にいっておいてよかったと思うけど
充分にお腹いっぱい。

ウチの夫はこの人はドラクエで言えば
スクルトとかバイキルトなんだよね、
日常にあるものを魅力的にみせるって言ってたんだけど
いい例えだと思いました。

アンディ・ウォーホルの作品って、写真でみてもカッコいいけど
実際観るとちょっとしたカスレとか塗り残しがあって
あーこれ手作業なんだよなと思う一瞬がかなり愛おしい。

でもアタシは映像の部屋に入ってからが熱かった。
9コマに分かれた大画面にそれぞれ人の顔が映っている映像をみた時に
あ、これってYOUTUBEの再生後の画面じゃん!って思ったんだよね。
エンパイアにしろ、これってyoutubeにあげられている
動画の種類とあんまり変わりがないじゃないって。

その後の「タイムカプセル」にこめられた雑誌や手紙の束は
サーバーの中に自分の文章や
写真をぶち込んでる今の自分たちと近い所があるし

彼の代表的な製法に自分では作らないで
指示だけ出してスタッフに作らせるって方法があるけど
これってつまり基本の絵だけ描いてパソコンソフトに
色つけなどをやってもらってる今のアーティストとほら
一緒じゃない?

彼は2014年のアタシたちが好む事を
70-80年代のテクノロジーを最大限に使ってやり抜いた人で
だから今でも重要な作家であり続けているんじゃないかと悟ったのだ。

結局ウォーホルが僕の作品は深みはない、僕の考えを知りたかったら
作品を観ればいいといったのは
彼は自分の内面を表現する為にアートを使ったんじゃなく
「つぎにくるもの」を予測する為に作品を作った人だからなんじゃと思うのだ。
おそらく彼にそれが出来たのは彼のキャリアが
イラストレーターから始まったことが大きいと思う。
おそらくアーティストが最初だったら未来を予測する前に
エゴとの格闘があっただろうから。

なんかそう思った時にすごく熱い感情が、がああああって
アタシの中にこみ上げて来た。

じゃ、アタシは彼を踏まえてどんな未来がくるか
ということを考えたんだけど、つまりアートは個人の生き方のデザイン
の問題になった気がする。

疲れるというネガティブな評価を何度受けても
SNSサービスが生まれてくる背景には
いろんなひとが個人の生き方を作品としてプレゼンする時代に
入ったからだろうと思う。

インターネットの普及で何か大きな価値観や方向性が
見えづらくなるのと比例して
このたくさんの情報の中から何を選べばセンスがいい
生き方になるのか、それを考える手段として
人は表現をするんじゃないだろうか写真で日常を切り取って
それを鮮明にしてフレンドで観てほしい人を選んでさ。

ウォーホルが過去になるとしたらそれは
人々が日常で自分を表現するのを辞めるときなんだと思うな。

さて、展示一個にもかかわらず夫はぐったりと疲弊
その後お茶してそそくさと帰ったのですが
やっぱりまだ、無理は出来ないわね。

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