ムード・インディゴと音楽へのきもちと。
「かんぺきな日。」
私はあなたに私の人生のひとつをあげたかった
望まれないこととはわかっていたが
それでも未来があるとおもうのは
素敵なことだと思っていたから
何もかも蚊帳の外の気分で
窓からみあげる夕暮れはきれいで
わたしはすこしその色に希望をみることができて
だから孤独が豊かだった
それは希望の光
だから私は
あなたに自分の人生をひとつをあげたかった
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先週土曜日の最後の鑑定の時間を切り上げて
ムードインディゴって映画の完全版に行きました。
毎年、学生にみせてるミュージックビデオの作者、
ミシェル・ゴンドリーがうたかたの日々を映像化する
そしてそのたった二回の完全版。
まあ、カットされているであろうサルトルのシーンが
みたかったのです。
で、やっぱ主人公カップルにあんまり関係ないのに
そのサルトルのシーンって奴がやっぱり印象的でした。
哲学者に没頭する友人カップルの悲劇と狂気があって初めて
隣り合わせで展開するこの純愛が
引き立っていたのかもしれない
美しいシーンは多々あったのですが
悲痛である結末の処理の仕方がどこまでもゴンドリーでした。
や、これはすごい!
まとめ方に隙が無くミシェル・ゴンドリー!!
葬式のシーンが最高に好きになりました。
でも四人で観にいったのにこの葬式の
ちょっと笑ってしまう非道さってのに過剰かつ
熱狂的に反応したのはアタシだけだったような。
何かに似てるんだと思ったら
チャップリンのドタバタ映像みたいなテイストだったんです。
人間という存在の悲哀を包み込んで自分風に書いている。
ゴンドリーはぶれない、ちょっと昔の映像技術の記憶や
手触りを効果的に使うという彼のセンスがほんとすごい。
誰かとここについて熱く語り合いたい!
さて、ルー・リードの訃報をきっかけに
パーフェクトデイの歌詞をじっくり読んだら
その日常にあるささやかな幸せを味わい尽くして描写した
そのセンスがやっぱりすごくて
自分も自分の出来うる限り、自分が信じる
最高の曲を書き続けたいと強く思いました。
アタシのライブは客とコミュニケーションしてないと思うんですよ。
「怖い」「殺されそう」と評される私のライブは。
何かと言えばそれは、アタシが20代の前半に土台にしてしまった
キックボクシングであり、アートの経験なのです。
リングの選手と客の関係です。
自分が自分と対峙した結果をお見せして
感じる人にはその姿から勝手に感情を連鎖させて貰うというありかた。
そこにしか成立しない世界。
人を平和にはできないが
心を平和にしたくて葛藤している人間がいると伝える事だけできる。
夢今というファクトリーを夢見た遅れたシステムもまた
アタシなりの美意識なのであります。
でもこれを残す事で、そのネットで音楽を漁るのに物足りなかったり
飽きた層がやってくる。
アタシの表現者としての仕事は時代の波に乗る事
ではなく
時代を経ても必要であってほしいものを残すことにあるんですよね。
偉大なる先人の表現仕事を踏まえてそんな結論を得た昨今です。
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