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2013年9月 2日 (月)

決断と未来。

決断と未来。
段ボールに入りたがって遊ぶうちの三匹目です。
台があれば入る、箱があれば潜る
好奇心のかたまりかもしれません。

今月末から再び桑沢の授業が始まる訳ですが
二年前くらいからアンケートの言葉にみる学生の状況は
大きく変化しています。

去年は特徴的に
講評の時もっと具体的に作品の改善法を教えてくれ
とか
とあることが授業の狙いであったと言うのであれば
最初からそれを教えて欲しい
という受け身の反応が増えております。

お前ら〜!と愚痴って終わったら三流
そんな中でも自分で考える道を授業に盛り込めたら一人前、
ただその一人前に向かうエネルギーを
孤独と孤立感に耐えいつまで捻出出来るのか
というのがアタクシの当面の課題です。

日経の大学生へのアンケート調査でも
もっと面倒を見てほしいという回答が増えてるそうなので
これは桑沢に限らず全国的な影響

思うに情報や選択肢が多くて思考停止になっている
という私達が今直面してるのと同じことを
彼らも悩んでいるということなのですが

その前くらいから顕著なのが
親の(オトナの)意向に逆らわない若者たちであります。
いや、若者だけではないか
お客さんでも多いか

親の意見と食い違った時に反発してでも
自分の信念を通すという人が減ってきてるよな〜
と思います。

アタシは過保護な環境で育ったと自覚しておりますが
いやそれ故にワガママなんすかね
環境の違いを超えてやっぱ心配になる

自分を育てるために苦労してくれた親にリアルタイムで
感謝できるのはいいことなのだけど
昔ほど家制度が幅をきかせている訳でもなく
個人の時代に益々なろうとする中で
この人たちは大丈夫なのかと。

親とまたその同等にお世話になった人たちと
意見が対立した時
自分は常に10年先、20年先の自分と話をするんですよね。

その自分が
「あの時、親がこういったのに従った結果こうなっちゃたよ」
と愚痴まじりにくすぶっていたら怖くても全力で抵抗する。

言う通りにしてうまくいかなかったとして
「まあ、いいけどね」とサラッと言えないことってあると思うんです。

アタシはいつも
「痛い目にあったけど、まあ、自分で決めたしよ」
と言えるならそっちをとります。

目上の人の経験と判断てのはいつだって素晴らしい指針になりますが
それが未来に通じるかどうかというのは別問題です

目上の人たちよりもいつだって自分のほうが
未来にはほんの少し近い
どういう未来に生きていくか、ましてこのネット社会で
加速するライフスタイルの中
親の言う価値観や正しさが5年先だって続くかなんて未知数です
それこそハイリスク。

用は10年先、20年先に親にどんな姿を見せたいかではないでしょうか。
どうせ気にするなら。

直近で言うなら、アタシも結婚の時に年下で社員じゃない男と
結婚するといったことを親に心配かけました(特に父)
最悪駆け落ちかとシュミレーションまでしてましたが

なんか一方で分かってくれると思ったんですよね
きっと仲良く暮らしている姿を年単位でみてくれたら
アタシが結婚で何を大事にしたか
それはきっとあなた方を安心させられる何かなんだと
きっと伝わると思った。

果たして今、親は夫を気にかけて彼も一緒に食事に誘ってくれたりとか
彼の好きなものをうちに届けてくれたりと大事にしてくれています。

父は入籍後、ぼそっといいました
「お前は自分の創作活動を支えてくれる相手を選んだんだな
そういう人となら仕合せになると決めたんだなと理解したよ」と。

大事なのは形で従うのではなく
心で伝わる結果を長い目で見て選ぶことなんちゃうかなと思います。

まあ、親と自分の意見があってるなら無理に反抗する
理由はないんだけどね。

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