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2013年7月30日 (火)

スティールボールラン読破したぜ!

スティールボールラン読破

今回は結末に触れますよ〜。

昨日夫の誕生日祝いで購入したスティールボールランを
読破しました。もち夫が読んだのを確認してからです。

お客さんの前評判があんまりだったので期待してなかったんだけど
アタシはシリーズ中で一番好き!
アメリカと荒野がセットで出てる時点でもうアタシの大好きな
シチュエーションですからね。

キャラクターが善悪はっきり決まりきってなかったのもいい
なんか皆色々なしょうがないを抱えている感じがあってね。
強いて言えば不満は
途中から主人公二人がレースより遺体をめぐる陰謀と戦う話に
大きく舵をきったけどもうちょっとレース観たかったってとこかな。

そのとある聖人の遺体を手にしたら、自分の欲望が叶う
とか罪が許されるのではないかとか、動かない身体が動くんじゃ
とか色々な理由で皆がレースの陰でそれを探していくんですが
結局それを求めた誰の手にも遺体は巡らないのよ。

で、その遺体を誰にも渡らないところに納めてしまうのが
このレースの主催者であるスティーブン氏と妻なんだけど
この二人はレースの成功を望んではいるけど
お互いの弱さに関しては基本的に自分たちで背負いあうんですよね。
自分たちの抱えている問題をお互いの腹を割って救いあっている。
最終的にそういう人たちが遺体を扱うことにすごく意味があると思ったし

そして下半身不随のジョニーは最終的に戦闘で負けてしまうけど
いろんなトラウマをこのレースと戦闘のなかで克服し
最終的には(まあ発現したきっかけは遺体だけど)自分で
身につけた技で歩けるようになる。

神は結果的に形として直接彼に手を下さなかったけれど
彼が自分の力と経験と学び、そしてかけがえの無い
友情の中でそれを出来るように導きたもうた

その設定が好きなの、本当に。

私は常々何故神や仏は時たましか出現しないのか
ということを考えてるんですよ
つねに出っぱなしでお告げすれば、世の中は希望と
幸福の国になるのかもしれない。
でも彼らはそれをしない、何故だろうと。

それはやっぱり娑婆(現世)はお互いに善と悪の要素を
生きながら自力で開拓するのがルールの場所だからではないかと
思うのですよ。

もう数年前に御上に

「私たちは存在の大きさ故、お前達の日々の営みを
観察し、それに答えと救いを与えることができる
しかし、それ故にともに混ざって経験を積むことが出来ない
私はお前を通じ何かを経験しこの世界を知る
だからミトラ、恐れずに生を全うしなさい。」

といわれたもうた事があってね

故にグレイのまんまでこの稼業をやっていこうと決め
今に至っているのですが

荒木先生はどういう訳か、スピリチュアルな人たちが
躍起になってその法則を言語化しようとして複雑怪奇なことに
なってる横でその一番大事な部分を届いた人間のハートに
ストーリーでぶち込んでくる。

その部分がいつもきちんと筋が通るから
あれ、○巻で出てる設定、置いてきぼりですがどうしました?
とか聞きたくなる部分もあるけど、もう基本どうでもいいのよ笑

アタシが霊能力を引き上げたときは
岡野怜子先生の陰陽師とか松本大洋のナンバーファイブとか
を読破して何となくその世界の根本原則を叩き込んでいったのだけど

疲労により失われたMPを回復させるエネルギーが
間違いなくジョジョにはある。
結局人間讃歌がこの世界では一番強力なエネルギーを
生むってことなのかな。

余韻に浸りつつ今週も仕事がんばります。

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