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2013年3月 5日 (火)

悟るということ。

悟るということについて思うこと
みっちです、悟っています。

お客さんにこういう事を言う方がいます
「早く悟りたい、覚醒したい」
どうしたら覚醒出来るのでしょうかと。

ではヒロポンでもきめたらいかがですか?いや、嘘ですよ。
でもまあ喋る事はできます、アタシなりの視点で。

悟るとは普遍性の体感だと思います。
それをバケツの水をひっかぶった時のように
全身で感じすぎると多幸感を伴う悟りの状態となります。
すごく感動した映画を観た後と大して変わりません。

ただこの悟った状態というのは、映画同様に
日常の些末な事に感情を少しずつ持っていかれる
うちに現実に引き戻されていきます。
そして悟りの感覚はどんどんと記憶の奥へ行ってしまいます。

でも1度経験すれば自転車みたく
ずっと感覚が覚えているのでそれを基本に出来る
素晴らしき経験であり、それ故に皆其所に到達したがるのでしょう。

それが嫌でその状態を維持したい人が俗世を離れて
隠遁するんじゃないか?というのがアタシの持論です。
でもアタシの個人的な好みで言えば
その悟りの匂いをしのばせたまま俗世の処世を生きる人
のほうが社会に有益で好きですね。

でもアタシがおもうに、バケツの水程度でないにせよ
人は多かれ少なかれ悟っていると思います。
それはずばり「ひらきなおり」という奴です。

ひらきなおりはアタシが思うに
思い悩んであらゆる方向に考えを巡らせて煮詰まった結果
メリット感とデメリット感が相殺された瞬間におこります。
いいとか悪いとかの問題じゃなくて、ただそうなんだから仕方ない
と思うようなものです。

山の頂上についたとき、ぐるり360度がただ単純に
頂上に対して景色という認識になるのと一緒です。
登ってる途中、斜面しかみえない時に辛いとこの道は
間違った選択ではと思うけど
登ってしまえばどこも同じ斜面にすぎないと思うような感覚かな。

いわゆる苦労人が仏の顔をしていると言われるのは
そのひらきなおりという悟りを何回も経験するからなのではないでしょうか。

だから瞑想したり座禅を組めば必ず其所に至るというわけではない
と思います。
ただそれは野郎がエロ動画観てナニをしごけばいける
というのと感覚的に似ていて
そういう所作が一番確率が高いから皆が想像するという
だけなのではないでしょうか。
性癖は人それぞれなので、それじゃ駄目な人だっているように
その瞑想が悟れるという手段ではありません。

だから何がいいたいかというと悟るということは
そんな特別な何かでもないから変な宗教にひっかるのはやめよう
ということ。あ、でもアタシは充分変な女か、説得力ねえや。

アタシが思うに既存の宗教で歴史あるものは
その何らかの過程で悟った教祖のその後の生き方や
その伝え方のセンスが素晴らしいからなのではないかと思うのです。
そこに注目すると、自分が受けた苦痛や
拭えない精神的な傷を乗り越えるよなヒントにだって応用出来るかも
しれない。
だから悟る事やその過程に多大な価値が置かれるのは
人としての筋からはズレちゃう気がするんだよなあ。

と、いうわけでライブ告知
六九狂ヴィヴィアンライブ情報☆
ツイッターから更に変更してあるみたいです。

3/17(日)西荻窪ジジアナベル
酒と泪と女とロックvol.3です。
19時オープン、19時半開演。
チャージ1000圓。
柿/ミカンヌ/ナチコジエンズ/jetリンダ/六九狂ヴィヴィアン

アタシは最後のほうかも。宜しくお願いします

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