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2013年3月 1日 (金)

春のよき日に母国を棄てる

春のよき日に母国を棄てる
ここ数日、精神的な調子がすこぶる良かったのです。
フラットというのが本当はベストかな。
忙し過ぎてとある習慣を忘れていたというのが大きいかも。

アタクシの習慣の中に
ヤフーニュースをみる→ヤフコメを観る→
キーワードをツイッターで検索→ツイートをたぐる

というのがあったんですがね、
これやるといっつも悩んじゃうんですよ
夫が仕事終わって帰宅すると関連ブログの記事で落ち込んだ
アタシがどよーんと座っているという繰り返し。

コメントってやっぱりどっか支持狙いだったり
憂さはらしで書かれているとこあると思うんですよね
それによってこっちの感情もディープに引っ張られてしまう
これよくない。多分。

でもどっかニュースも見ないのは良くない事だと思う自分もいて
割り切れず感情の渦に呑まれる。

結婚式の準備で精神的なバランスを崩して病院に行ったとき
先生に「マツザキさんは悩んでる人たちを相手に仕事する分
ネガティブな思考におちいりやすい環境にある」
といわれたのはたぶんこういう事も指しているんだろうと思ってみたり。

もう少し、楽に生きたい。

でも、どうしたらいいのか分からん。
誰に聞いたらいいのかなと考えるうちにまたどっかしらが元に戻る。
人は運命は決まっているという時に外的要因が自分をそうすると
思っているが、本当の宿命というのは、こういう、駄目と分かっているのに
どうにもできないし、うまくそこから抜け出すものにたどり着けない時に
こそ言うべきものなんじゃないだろうか。

とりあえず、もう隣の国とどうということからも離れる
原発のニュースからも離れる
離れてどうする・・・たぶん手がウズウズするんじゃないか・・・
東京の真ん中で自分の国と自分がどうという事をすてて
棟方志功のようにいつかは「私は自分の発言に責任をもたない」
などといってみよう。

一ヶ月以内に内祝いの半返し終わるかなあ・・・
という不安の中、そんなことを考える。

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