« 愛しいあの子はスコスコぞっこん☆ | トップページ | 日々の改革 »

2013年3月22日 (金)

教育と雇用。


学生と授業で向かい合っているといろいろあります。
昨年ついに授業中に堂々と携帯をいじっていた学生に怒って
外に出してしまったのですが、この前テレビでやっていた
Rの法則によると、今では廊下に立たせて反省を促すことも
教育機会の剥奪として体罰のカテゴリーに入ってしまうのだとか

必死で何かを伝えようとしている人間の話をないがしろにすると
大事なチャンスを失う事になるよ
とフォローの効く授業の中で将来を見据えて伝えたつもりなのですが
これももう駄目になるのかもしれませんね。
20歳以前と以降の教育に対する考えに差が無ければ
の話ですが。

こういうことを社会人の先輩に相談をすると大体
社会に出た時に制裁されてわかることなのだがら
いっそどうぞどうぞで流してもいいんじゃないか?
という意見がかえってきて自分でも、日々の忙しさの中で
そんな教育に必死になることもないんじゃと考えるのですが

でも一方で、社会の中で育ててくれる職場が今もあるのだろうか
と思う訳です。
その充分に社会性が育っていない若者に対して社会が
突きつけるのは無言の「不採用」だったり「契約終了」なのでは
ないかと思うのです。
会社は沢山雇えないから即戦力が欲しい
だからたっぷり育ててぶつからなきゃいけない人間をあえて雇うか?
否であろうと。

その結果、社会性を身につける事も出来ないまま
どんどんと過剰な落伍者になっていく若者がこれから
ますます増えていくんじゃないかと心配でなりません。

今教育に携わる人間は、自分の受けた教育の踏襲から
離れ、まっさらなカタチを探すエネルギーが本当に必要です。
と、同時に就職支援学校とか社会人セミナーとか
企業と学校の間でマナーを教える人材がビジネスとして
必要とされるんじゃないかということを漠然と考えたりします。

そして若者には自分で自分の状況を客観視して
人生を組み立て直すスキルがないとやっていけないのかも
とはいえ、いつの時代も若者はそう見えるものなのでしょうか。

だったらちょっといいんですけどね。

写真は今日の桜。もう週末には満開だって。

|

« 愛しいあの子はスコスコぞっこん☆ | トップページ | 日々の改革 »