
ここで公に書く話じゃないのですが、
アタクシ怒るのが苦手ですの。
怒って感情をだしたらその後できっと良くないことや
自分に不利なことが起こる、と思う癖がついてまして、
極限まで放置する癖がついております。
だから今回も学生にちょろい授業と思ってる子も
いるんじゃないかしら。
どうせ社会で制裁されるならここでとやかく
アタシがいうこともなかろ、なんて思ってもいるんだけど
で、我慢しすぎてストレスが爆発したりして
皆びっくりってことにもなったり。
怒っても大丈夫なのだ、とアタシの心に理解させてくれる
王子様はいないかしら。
そんなアタシは友人に、
「目上には信じられない反抗をすることあるのに、
なんか年下には特に弱いよね?」
なんて言われる始末。
おそらく精神的に甘えた若者癖が抜けないんですよね。
困ったもんだ。
さて、そんなアタシは今朝一番
中村勘三郎の訃報をきいて奈落の底におちました。
お昼まで呆然としてネットでその記事を検索しつづける始末。
真っ先に思い出したのは、平成中村座の千秋楽公演に駆けつけたこと。
なんかどうしてもいかねばならない気がして
六席位しか空いてなかった座席を予約し
アタシにはしんどい時間に早起きして観にいった今年6月の公演。
カーテンコールでスカイツリーを見せる演出に感動し
これはすぐ隣の聖天さまのお慈悲かもとお寺を拝し
そのあと思い立ったようにめ組の絵馬を戴きに芝大神宮にいき
そこで結婚式の説明を受け今に至るというながれ。
ああ、療養に入る前の公演で姿を拝めて良かった、
治ったらまた観にいこう、と思っていたのにあれが
本当にアタシがみる最後の姿になるなんて・・・
歌舞伎好きの母につられてTVでみた勘三郎(当時は勘九郎)さんは
よく喋って茶目っ気のあるおじさんとしか思っていなかったけれど
笹野高史著「待機晩成」てエッセイを読んで、
そこでコクーン歌舞伎に出した笹野さんを批評家が酷評したのに
マジ切れし、その雑誌社に怒鳴り込みの電話で今後の取材を拒否した
という勘九郎さんの逸話を読み、感動して好きになっちゃったんです。
そう、自分の芝居に協力してくれた仲間を潰す奴には
怒っていいんだぜ!
と最初に怒り方を教えてくれた人だった。
そっからインタビューを読んだりして触れた彼の
革新的な生き方や考え方がアタシの心の支えになりました。
アタシが美大を出る時に美術は死んだと言われ始めて
それを気難しい批評家がああだこうだといったり
アートはどうとか眉間にしわを寄せた人間があれこれ出ていたんだけど
結局そういう言論で引っ張り込めるのは自分の生き方に
自信がなくてその思想に乗っかりたい誰かであって
もし本当に自分の表現活動を広げたいなら何か別のやり方があるはず
そう思っていた矢先に、彼の平成中村座やコクーン歌舞伎のやりかた
そしてなにより、いろんな事に興味をもち、いろんなジャンルの人と
交流し、という生き方はこれだと思った。
ポジティブで自分のやっていることに真剣だけど飾らない、
欠点も最終的にチャーミングにみえる、そんな人間にアタシも
この人を目指すことでなれっかもしれない。
イベントの企画やオーガナイズをする時、卒業した学生が
訪ねてきた時、あんまりな侮辱に耐えかねて切れるとき
アタシの頭にはいつもこの中村勘三郎の横顔がありました。
夢今がどんなに小さいイベントだとしても、ちゃんと大事に
していこうと思うことが出来ました。
ひょっとしたらアタシが木版画をやっていた事も大きいかも
しれません。伝統を感じさせつつ今の自分の版画を時代に
あうように打ち出していくこと、それを考えることもありました。
年に一回、お金を払って彼を生でみることはアタシには巡礼で
彼はそういう意味ではアタシにとっての教祖でした。
アタシが中村勘三郎という役者の演技を理解していたか
評価できていたかはわかりません。
その空間の中央でオーガナイザーとしてそして役者として立つ彼を
みることで、アタシはやる気を起こしていました。
アタシは、日本のウォーホルになりてえんだ、
アタシの思うFACTORYをつくるんだ
という大それたことだって思えた。
帰りの電車でひとり、パンフを眺めながら、この人と
同じ時代を生きているという奇跡を噛み締めるのが幸せだった。
少しでも長く、あと10年は続けと思っていた。
そんな人が死んでしまった。
いつかアメリカで展示する時がきたら
あのツインタワーに昇りたいと思っていたのに
それが一瞬で崩れた9.11の喪失感を思い出しました。
でも、
100人の善意になれなくても1人のヒーローではあると
信じるように今のアタシには目の前の仲間を大事にし
一期一会の学生を愛し、日常を続けていくしか無い。
でも今日の夕方、電話取ったら何故か隣でがちゃんって
音がして何故か豆が転がったんでよく見たら
あの千秋楽の日、芝大神宮で買った千木バコが崩れていました。
ああ・・・何かが本当に終わったんだなと思っちゃったよ。
悲しくて悲しくて本当に仕方なく冷静さも無い12月の水曜日です。