« どぶろく祭り | トップページ | お別れ嫌にゃ。 »

2012年11月30日 (金)

誰のための90分なんかいな。


画像は昨日行った兜神社です。
入って左側にある岩のような大石にすごいパワーを
感じるので、自分の商売が根を張って定着するように
お祈りしてきました。

さて、残す授業も半分は切ったであろう桑沢ですが
前回の授業ではなんだか学生の授業の本音が色々届きました。
写真集もうちょっと時間が欲しいとか
内容が偏っているのではなどなど。
帰宅途中、「うーんさらにキャッチーかつ時間をかけられる
のんびり授業がいいのだろうか?」
などとその日は頭の中をごしゃごしゃにしてから帰宅したのですが

翌日たまたま卒業生が鑑定を受けにきたので
その話をしてみたところ
「そんなの甘えですよ!皆自分が出来ないことを不満でいって
甘えているだけですってば。」
と意外にもこちらが一喝されました。
社会に出てデザインするようになったらそんな甘えじゃやっていけへん
といいきる彼女に「うぬ、大人になったなあ」と
まぶしく思えたりもしたのですが、その授業を成立させる
バランスについてはやっぱ難しいわと思いました。

クラス全員に愛される授業はそりゃ出来ないけども
かといってこっちの主張を一方的に押し付けるのもどうかと
思う訳です。
なんかね、カリスマ的に自分の主張をのべたときに
ついてくる若者っていうのは今のご時世、正直マゾだと思うのよ、マゾ。
自信が無いから強烈な主張ができる先生をおっかけます、
という顔をした学生に好かれても嬉しくないし
それに満足したらアタシの作家生命も危ないと思ってる。

私はイベントオーガナイズをしたり、鑑定でも双方に納得いく
地点を探ったりしている関係で
とても両者に取って円満という道にこだわってしまうけど
本当の教師の正解は年を重ねる中で得る感慨を正直に述べ
そこに反発がうまれてもその自分を押し通すことに意味があり
同時に、その年齢では理解されないことを
語らねばならないのかもしれない。

学生と接していく中でアタシは彼らに迎合しすぎているのかも。
本当にいい関係を築きたいならばやはり自分はアーティストとして
活動し続けねばならないのではないか?
そして自分の伝えたいことは妥協せず
何か採用出来る時だけ採用するという姿勢が必要ではないか?
それが背中を見せる美学なのではないだろうか。

こういう時にどっかの先輩教師だったり父と語る場面かもしれない。
でも一個はっきりしているのは、学生が自分の思いを
素直に話せる気さくさはずっとキープしたいということ。
これと軸にどうしたいかなんだろうなあ。

|

« どぶろく祭り | トップページ | お別れ嫌にゃ。 »