« ミルナ、ヨムのだ!!! | トップページ | ギミーシェルター。 »

2012年10月23日 (火)

コンセプチュアルって?

コンセプチュアルって?
先日の夢今の写真とってくれたRINAちゃんが
すっちゃんに似てるといってクッキーをくれました。
なるほど、理屈じゃなく良く似ています。

さて、その理屈じゃないの筆頭がアートと考える訳ですが
毎年出会う学生の中に確実になんとも理屈で固めた作品をつくる
「コンセプチュアル野郎(男に多い)」が出現します。

作品がなんかシンプルだがすっきりしない
ロジカルな空気がある子に「コンセプチュアルアート好き?」
と聞くと大体YESと返事が来ます。

でもね、(暴言申し訳ない)糞つまんねーんだよ!!これが!!
なんというか、説明聞いて「あー」といえるけど
心に来ない。
彼らも何となく分かっているみたいです、
俺にしか分からない作品が、必ずしも良いと言われないという事が。

でもね、デュシャンの「泉」はアタシも好きですよ。
オノ・ヨーコみたいなシンプルなのも好きです。
でも、ヨーコさんはコンセプチュアルというよか
禅ですよね。

ここでアタシ、あ、と思いました。
PCで作業する桑沢のかれらはまずコンセプトを組み立てて
ヴィジュアルを作るあまり、コンセプトがよければ
つくったものが伝わるという信仰に過剰に傾いているのではないかと。

アタシ思うに、デュシャンの「泉」は
「便器から水が出るのと泉の感じって同じやん」
という閃きから出来たもので
純粋にその姿が確かに似てるけど何でかな?
ということを言語化したらコンセプトになったんじゃないかな〜?
と思うのです。
閃きと理屈は違います。
理屈は論旨をつめるもので
閃きは発想を押し広げるものです。
人に伝わるコンセプトには理屈じゃなく閃きの香りがします。
閃きを理屈に落とす事と
閃きを説明することは違うのです。

ヴィジュアルアートには特に
言葉じゃないけど強く伝わる
感性に訴える、という要素が第一になければならず

その作品をより伝わりやすくするためにコンセプトを
当時の気持ちや出来事から推理するように考える
ということもできなければ、感動させるコンセプチュアルアートは
出来ないのではないかと思います。

理屈じゃないけどいいものを作る
作ったものにコンセプトを考える
そんなことをこの後の授業になんとしてもいれこみたい

と考える最近のアタシです。

 

|

« ミルナ、ヨムのだ!!! | トップページ | ギミーシェルター。 »