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2012年10月21日 (日)

老婆心という愛情。

老婆心という愛情。
先日店に届け物にきた母が今度はゆうパックを送ってきました。
中には大量のレンチン飯。
十年前の自分であれば「栄養のあるものくれよ!」
となったでしょうが、ウチと店にあったものの記憶に忠実に
選ばれた物品をみる限り、なにかのついでに思い出しては
買いためたものであるのはわかります。

「ウチを片付けろといわれてしまうけど、つい買い物にでると
あ、彩がよろこぶかしらと思って買ってしまうのよね。」
という電話の言葉を聞けば有り難さに目頭が熱くなります。

結婚式を親族にむけて、といったものの
思った以上の数の親戚が足腰が・・・遠出は・・・
という理由で来れないことに驚いた自分としては
行き遅れた親不孝を嘆くとともに、母も大変な中
自分を思い出してくれているのだと想像がつきます。

老婆心(いや老婆ではないけど)という言葉は
これまではめんどくさい一言を言われることだと思ってきましたが
あなたを思っているのだ、それを少しでもカタチにしたいのだ
という切実な思いなんだろうと思う訳です。

そう考えると、アタシがお客さんに
鑑定のメモを渡したり、飴を渡したり、場合によっては
火打をうったりという細々も老婆心やもしれません。
鑑定に来る人は好奇心が先行しているというよりは
弱り切っているわけで、そんな人には金を介しているとはいえ
自分を思ってくれた人がいるという記憶を届けたいと思うのです。

まあ、ブログを読んでいたらコマネチか酔った文章にあたる
という馬鹿な女ではありますが、霊感というものが
目で見えないものである以上
飴をなめて馬鹿話を思い出し、メモをみて頑張ろうと思ったり
そういう人間的な部分の繋がりだけでも残したいという気持ちは
私なりの真心な訳で、だから鑑定のあとで高いツボをうって
この壷を買ったら大丈夫だという金銭的な記憶を残して帰るのは
文脈が違うんだよなあ〜と思います。

ひょっとしたらまず鑑定の多くが現状の描写から始まり
お客さんが当たる当たらぬで話すのは、霊感というものを
カタチづけたいからなのかもしれませんね。

老婆心という愛情。
お礼の電話の最後で母が
「リラックスって書いてあったから買ったんだけれども
byおりこうさんって言葉がプレッシャーをかけそうで
きがかり」
といっていた絵はがきですが、byのあとは
「おりこうさん」ではなく
「おこうさん」でした。
だから大丈夫ですよ、母上。

ただ最初アタシはラジコン猫だと思ってましたが笑。

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