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2012年10月17日 (水)

キャッチーという時代に。

キャッチーという時代に。
先日母が丹波の枝豆と一緒に差し入れを無料のお盆に
のっけてウチに置いていってくれました。
自分の娘がまともな飯を食べないのを熟知し
色彩豊かでキャッチーな配置という心遣い。

さて、今週の月曜日は写真集の講評会でした。
この写真集は前も説明したように、既出の一文と
自分の世界観をあわせて構成することで他人の思っていることや
世界観を考察し、自分の世界観とすりあわせる
というセンスで会話するお勉強ですが

この講評方法は最初に皆の作品を閲覧しあい
その中から三名にいいねシールをつけて、一番
票数の多いものから講評し、その作品にシールつけた人間に
ランダムにその理由を聞き、シールがなかった場合は
どーしたら良くなるかをさらに誰かに指名して聞き
最後にアタシが本人にコンセプトを聴いた上で喋る
という体裁をとっております。

こうすると学生のコメントから年ごとの傾向が
手に取るように分かってまいります。

今年の学生は例年より制作日数が少なかったにもかかわらず
クオリティはめちゃ高でした。
ページもめくりやすく装丁もこってて、個々の世界観も
ばらけていて素晴らしい!
デザインカタログみたいな作品もほとんどなかったし。
だがしかし、選んだ文章と作品の世界がおもいっきり
大分離でした。肝心のリンクと対話が出来てません。

というか、良かったポイントを指名して聞いてみても
「雰囲気がよかった」
「世界観が好き」
「なんとなく」
ってええ!文章と連動してるってとこで見てないじゃん。

やっぱり今年は文章を基本一文、最高三行までってのが
短過ぎたのかな・・・と反省もしたのですが
実に恐ろしきは学生のコメント、何が良かった、悪かった
こうしたら良くなったであろうと即答で
いえる生徒が全体の一割もいないのであります。
たまたま当てたコが上手く話せない子たちなのかもですが
人の作品を見ながらこの人のここがいいとか悪い
とか考えながら講評を聞くという習慣がもうないのかも。
うぬ、なんかスマホいじってた子もいたもんな。

でも、人の作品に鋭い感想がいえなくなってきてるのは
もう二年前くらいカラなのよ。
そしてもっというと、全体のレベルが高いけど
後の学生にみせたい、だから買い上げよう!と
決意出来るレベルの作品と出会えないのも確か・・・

原因はまあアレですよ、ネットの普及でしょう。

うちらがリモコン世代といわれ、面白くないと
思うとすぐチャンネルかえるように見切り付けが早い
といわれましたがそれが加速してるのです。

何かをみてイイね!つければ日常のコミュニケーションが
事足りるし、それ以上なんて考えてられないのです。
苦労しなくても検索すればお気に入りを集められて
そのお気に入りを集める以上のことが必要な理由がないのです。

そのかわり膨大に好きなものをみるから、表現のレベルは
あがる、でも、突き抜ける力がない。
だって本当にいいものをみるにはお金かかるんだもん。

アタシがポエトリーリーディングのスタイルを口語調
勢いだけ、にしてたのは、あ、こういうのでもいいんだ
やってみようって思えるように、
人の心のドアを叩きたかったからだったけど、
実際それをやってのけたのはインターネットだったのよ
でもそうやって敷居が低くなった分、皆沢山の人が
表現をやり、いいアーティストが増えたかといえば
むしろ頭打ちになった。
テクはある、勢いがある、でもやってみようと思った
モチベーションが軽いからかバンドも直ぐ解散してしまう。

そしてネットでも本当にいいものは課金が必要だったり
権利の問題とかで画像がなかったりして
お金のない学生は無料の動画でいいもの探してるんじゃないかと。

授業の後、ポートフォリオが良かった子と話をしたら
子供の頃から親にビートルズとか前衛芸術とか変な映画とか
みせまくられたって子だった。

だから本当にいいものって奴をみる方法を教わった子しか
迷走せずにセンスをのばすことが出来ないし、
ネットのチラ見でキャッチーに思えるようなものしか
注目してもらえない時代かもしれない。

アタシの頃はまだ、CDの貸し借りとかがあって
いいものを探すどん欲な集まりがあった。
でも彼らはツイッターとかで軽い日常会話を
こなすことでほぼ一杯一杯なんじゃないだろうか。

と、同時に自分たちや会社の権利のためとかって
コピーコントロールかけちゃうアーティストとか
お前らCD貸し借りしながら音楽性磨いてたんちゃうんか?
その恩恵をかえす立場の売れっ子が何後継者潰してんだよ!!
とか憤ってしまうアタシがいるわけです。

権利を主張するとしても、何らかのカタチで
後継者を育つ場を作るってことを考える必要があるのでは
ないでしょうか。

でも、深刻なのはコミュニケーション能力です。
今回のその自己表現と選んだ文章の乖離っぷりといったら
気の合う人と群れることが出来るし、
自分の活動スペースはあるわけだから
掘り下げて誰かを理解する必要がどこにあるのですか?

と言われた気分になった講評会の後味でした。
でも今現在自分自身の生き方もそんな訳だから
それがダメだ、と説教するのは単に自分の世代と
話が出来るようになれよ要求してるだけな気もするのです。

だから親父の説教は聞く気にならんと。

ただまあ、真実は一つです。
時代に残る表現者は、時代を読む力があって
そこの自分の立ち位置がどこにあるかがわかり
同時に自分にしか成し得ないやりかたで表現が出来る人。

皆、後半ばかりを磨きたがりますが
売れたければやるのは前半です、時代を読む。

こうやって彼らが教えてくれる時代を感じながら
アタシも自分の立ち位置を決めていきたいと思います。

さて、もう土用よ!!
土用波に上手く乗る方法を最後に伝授
1.どうしても会わなきゃいけない気の進まない人との会合をぶつける
2.逆に自分が追いかけたり、格上と思ってる人に勇気をもって
 コンタクトをとる
3.一度きりになるかもしれないけどやってみたかったこと、普段
 やったことがなかったことや行ってみたかった場所にいってみる

ちなみに今回の土用中の全ての出来事は
自分の足下の確認や原点回帰の意味があると思うとブレないと思います。
さあ。わくわくしてきましたよ。なんだかんだ大好き秋土用。

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