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2012年8月29日 (水)

HAPPINESS IS WARM GUN


前の職場で上司とアタシがやってるイベントの話になり
「美彪センセは夢見過ぎなんだよ!やる側もいい、出る側もいい、
客にとってもいい、なんてイベントなんてあるわけないじゃない」
といわれ、内心アタシはコンチクショーなんて思ってイベントをやった。
東京30人晩餐はその最たるものであの会場を観た時に
自分諦めなくてよかったと心から思った。

こうやって誰かを巻き込むことには頑固になれるのに
そんなアタシは、自分個人の生き方に関すること
人に人格を誤解されるのを特に苦手としている。
幼少期は素直でいただけで真面目ぶりっこであり
どこにだしても大丈夫な子と大人に言われてるうちに
感情が出せずに過敏性腸症候群に。
そんなこんなが嫌になり、予備校では毎日テイストの違う服をきて
イメージが定着しないように励んで成功したものの
大学時代は表現するものの強さから気が強いとか丈夫ということになり
所属していたサークルがキックボクシング部だったせいか
体育の時間に「近藤さんは大丈夫だから」といって教授に
皆の前で投げ技でなげられたり締められたりしていた。

我慢強さと、平穏をのぞむ性格とサービス精神で状況を受け入れてる
うちにアタシの性格は今や、ブログの文体が強めなのもあって
主張の強い性格と思われるに至っている。
仕方ないと思うが、やっぱりそれは違うという性格で
断言されたりするとショックから言葉を失ったりしてまた
その場で反論も出来ないから事態は更に悪化する。

でもそんな中、アタシが繊細だと見切った状態できつい言葉を
浴びせられることもあるもんだから、慢性人間不信な部分もあり
人と距離をとれとアドバイスされるのだが、お人好し過ぎて
つい介入するから末期的だ。

そんなアタシが最初に選んだのは表現活動だが
作った作品は見る側の感情を動かすが、それは自分の孤独を
理解してもらえるものでは無かった。
当時関わっていたギャラリーのオーナーは笑いながら言った
「人が作品を理解なんかしてくれるわけなかろう、せいぜい
一人二人の友人か、恋人程度のものだよ」
作品だったか、性格だったか忘れたけど、ショックだったのは
おぼえている。

そしてファイナルアンサーが霊能者ってどうして自分はさらに
人から理解されないポイントに属するコトになったのか不思議でならない。

でも、自分がこうしてひねくれ度を増していく直前に
もしこういう風に向きあってくれる人がいたら・・・という
ポイントについてはいつも考えていたのでひょっとしたら
その辺が役に立っているっちゃたってるのかもしれない。
ただ全身全霊で向き合う月数十人に対して、自分への理解が
表面的であることへのギャップにいまいちバランスを
とることが出来ないことに密かに悩んできた。
ここに関しては結婚してから益々理解がされなくなった。

というか、結婚したら解消されるかと一瞬思った自分も確かにいた
カート・コバーンが自殺した時に個人の孤独は
結婚でもどうにもならないと証明されていたはずだったのに。

いろいろ試してはみた。
こうやって言われた言葉を何一つ乗り越えられず
いっこうに強くなれない自分が情けなかったし
所詮人間なんてと上に見たり下に見たり諦めろと毎日言い聞かせた。
バランスを崩し切ったときが終わりの時なんだとも。
しかしいかんせん疲れた。
自分をハッピーな人間と思うように言い聞かせるのも疲れた。

でも本当は、ダメでも非難されても
自分を受け入れてくれる人というか、安心して弱音を吐き出せる人に
囲まれたいという欲求に素直になるのが一番なのではないか
と思うに至った。

せめてプライベートくらい、
世界が終わる一週間前くらい
そういう環境に身を置けたらアタシも聖人みたいな台詞を
はける人間になってるかもしんない。
たとえ無理としても願望をねじまげるのはよくない。
そう許したことで少しだけ、呼吸がしやすくなった気がしている。

だけどこういう経験から愛というものには自分なりの定義がある。
愛とは相手の弱みを知っても攻撃せず、
長所をのばしてともに生きていくことを考えることである。

で、ここだけは誰にも譲らない。

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