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2012年5月30日 (水)

旦那のあれにパックンチョ!

旦那のあれにパックンチョ!
昨日のお客様が「セバスさんと二人で」とパックをくれました。
旦那のあれにパックンチョ!
「さっそくつけてみようかしらね〜♪」
旦那のあれにパックンチョ!
「できました。」
旦那のあれにパックンチョ!
「似合うでしょ?」
旦那のあれにパックンチョ!
「ふーい極楽ごくらく♪」

今日は久々に自己中過ぎたが故の失敗をしまして
自分の失敗が許容出来ない自分は本当に落ち込んで
自分を責めました。
「もう死刑になるといいのだ!アタシなんかいなきゃいいのだ!」
と散々落ちてみた結果、いろいろさらにむかつきまして
「音楽も版画も本来の道ではないなら才能が無いと
言ってくれよ御上!」
と更に暴れ、何の応答も無いのでそれにさらに切れて
スタジオで吠えながら
「神のやつめ!!幾千万の涙のかわりにテメエが死ね!!」
などとさらにあたっていたところ
なんだか一方でその無視が包容力のある愛情におもえてきたり
自分の言葉に酔ったりしてきました。

で、考えた事は

結局、神に挑むということは、実は自分の可能性を試す
ということの背中合わせであり

アタシたちが普段恐れたり怯えたりしている事というのは
人のこれまでの歴史への挑戦であるとか
世間体の最大公約数に対する怒りにすぎないのではないか?
と思うに至りました。

神のまにまに、と人は言いますが
もう人間は火を模倣した時点で神に挑んでしまったのかもしれない。
それはなんつーか、ウチのストクが人に馴れたばっかりに
膝の上を獲得しようとして乗ってきて
眠れないこっちはそれをどかすけどまた乗ってくる
という攻防の犠牲者多数版みたいな
遊びの域を超えたじゃれあい。

としたら人の意見は個人的な御上との闘いに対する
ヤジやブーイングに過ぎないのかもしれない。

そんなことをぼーっと考えながら飯を食うアタシの前で
夫は「タイ料理っていろんな食感を楽しめておもしろい」
などと喋っておりました。

余談ですが最近の夫の他の発言で
「なんで神様をおろしたいなんて
願う人がいるのかね?」
というアタシの呟きに対して
「僕は大根おろせるし長芋もおろせるよ」
と自信満々でいってたのが秀逸でした。

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