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2012年5月16日 (水)

受け入れられぬ身体。

焦燥と自意識。
今日の記事はスピリチュアルかつウジウジしてる感じですが
(いつもそうって話もあるが)自分の整理のために。

最近ここにきて夫と寝るのが精神的に負担になりつつありました。
きっかけは夫と付き合いだして一ヶ月目くらいにさかのぼります。
二年まえかな。

仕事帰りのアタシの前にぽあんとおかっぱの女の子が出て来て
「私はお父さんが36歳の誕生日直前に35歳のお父さんと
5歳の私でお祝いしたいの」といって
抱きかかえられて二人でケーキを吹き消す映像をちらつかせて消えました。

計算すると今年の九月に妊娠すればおおよそそんな計算になります。
自分を取り巻く状況や年齢的な事も考えて
彼女の言うようにしてみよっかと思いました。

最初はちょっと先だから、と思ってたんですが
昨年のクリスマスにイルミネーションを観ては
夫と二人で過ごせるのはこれが最後になるんだな・・・
と思い
正月となれば、こうやって二人であちこち回れるのは
しばらく最後だからちょっと無理しても満喫しなきゃ
という気持ちがかすめ
日々過ごしていくうちにこうして二人でのんびり出来る事が
毎日の悲しいさよならに変わっていきました。
そんな思いを父の病気や長男の嫁であることなんかも考えて
やっぱタイミングは今年だといいきかせ

一方でそんな中、当時の占いの同僚の先生から
「やっぱり今年子供を授かる年な気がする」
と言われるたびにやっぱりそうなるか・・・と思い
仕事で子供を授からぬ人や授かった喜びを語る人をみても
やっぱり貴重な体験だから進まねばと自分を奮い立たせよう
とするのですが

一方で、何かいい企画を思いついても曲を書こうとしても
どうせすぐにどうなるかわからない状況になると思うと
どうしても無気力と失望感におそわれ二の足を踏む
という心理状態を抱えきれなくなってしまいました。

そんな中で夫への不満もたまっていき
正直にそんな話を昨晩夫にしました。

今年ではないかと言われるたびに、
周りからそっちはいつ?と言われるたびに
今年なんとかしますから許してくださいという気持ち
でいた事、
毎日自分のやりたい事にさよならを言い続けていた事

仕事を立ち上げたばかりで
猫にさえも時々対応が一杯一杯なので
母として向き合えずおそらく授かったら
夫に丸投げしてしまう予感がする事
それを期待しそうな自分がいる事

どっかで自分が母にしていたような葛藤の関係を
自分の親子関係に持ち込むのが
生まれておいで!と両手を広げて言える状態で健やかに
まつよりしっくり来て選びやすい事

同時に親が元気なうちに自分のやることを投げても
子供をみせなきゃいけない気がする事

などなど。

夫はそれを聞くと
「子供はゆるしてくださいと思ったり、犠牲にしたと思って
生むものではないでしょう」
といってそこからため息をついて
「子供を産む事って悲しい事なんだねえ」といい

うまくそこから眠れないまま二人で悶々と朝を迎えました。

そっから更に話し合って
夫自身調理修行中なのでもうちょっと先が見えてから
の方がいいなんて話になり
一旦、子供のことは置いといて二人と猫とテトラの生活を続けよう
という事になりました。

ひょっとしたらその何か踏ん切りがついた時の子供は
レンゲと言われる娘ではないかもしれないし
そういう踏ん切りをつけられなくなるかもしれないし
踏ん切りをつけられた時には授かれる年齢ではないかもしれない。

だけども、いったん無しにしたことで
表現者としての創作欲求や日々を愛する気持ちが
ドバーッと回復したのは確かです。

神とかみえないもののお告げに従順となり
その奇跡に感謝して生きたい気持ちと
何があっても自分の意思決定で人生を生きたい気持ちが
せめぎあって自分に葛藤をもたらす度に

神仏に仕える人が世俗や色恋から離れて生きるという
戒律のやさしさが分かる気がします。

アタシのような欲にまみれる市井の拝み屋は
自分にとって正しい事ってなんだろうとか葛藤しながら
混乱してくると神や仏を信じない人の生き方に救われたりして
なんかずっと揉まれていく気がします。
もしその葛藤を一つにまとめあげる事が出来たら
スーパーサイヤ人になれるだろうか、なんつって。

とりあえず、自分が心から大丈夫だと確信出来ないものの
不安を他人まかせで解消してなんとかしようとする生き方は
苦しいだけだからやめようと思います。

自分の価値観に従って心の節目を大事に生きる、
まずはそこから。




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